2012年5月16日 (水)

トートバッグ

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年末年始のことで、ちょっと新鮮味に欠けるのだけど
友人の為に作ったトートバッグです。

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こだわりみたいなものは特にないのだけど。
革で鞄を作るということは、それなりに覚悟みたいなものが要るんじゃないかと思います。

布でも十分な鞄が作れる。
それでも革で作る、ということは本来覚悟がいると思うのです。

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この鞄は牛の皮からできています。世の中に、牛革の鞄がたくさんあるのは、人間が牛肉をたくさん食べるからです。
布は主に植物から作られます。
牛の皮は、牛がたくさんの穀物を食べ、その副産物としての皮をなめして革になります。

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地球の生態系からいって、食べるために牛をここまで繁殖させるのは、どう考えてもアンバランスです。本来、革はもっと貴重な素材であるはず。革の特性を十二分に活さねばならないと思います。

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革は丈夫な素材です。その特性を活かさずに鞄を作るということはおかしい。
革で作る以上は一生ものを目指さなくてはならないのです。
壊れたり、飽きたから使えなくなるようなことがあってはなりません。

そう思いながら作った鞄です。


追伸
で、その友達がインタビュー=されて
このカバンも載せてもらってます。

http://cocoena.com/projects/002life-style-leather-bag/

http://cocoena.com/2012/03/mono-hacker-vol-002/

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2012年3月 7日 (水)

ベビーシューズ

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ベビーシューズを作りました。
これは試しに作ってみたので、誰かにプレゼントするとかではないです。
早く誰かのために作りたいです。

手持ちの革で、おもちゃのように楽しそうな靴にしてみました。

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木型は13㎝
歩き始めるくらいのサイズ

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2012年1月 1日 (日)

斜めがけの鞄

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この鞄、友人のトートバッグをつくるときの習作のつもりで、自分用に作りました。
人のために作るときは、きちんとしたものが多いのですが、
自分で使うものはザックリとしたものが好きなんです。
友人へはもっとまじめな雰囲気のものを作ります(笑)

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全部革の鞄は僕にとって重い印象がするので、頒布組み合わせるくらいが心地いのです。
頒布は切りっぱなしを多用しました。ラフな方がほつれたりしてオモシロイ。
革も水で洗ってシワっぽくしてあります。無理やり平にさせたれた革は本来の表情を取り戻し、その方が素材が生きているように思えるのです。

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地元のCAFEでiPhoneで撮ったのだけど、ちょっと霞んでしまいました。。。

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中にはポケットを一つ。

この一年、作ることをもっともっと頑張ります。
春あたりから靴も作っていく予定です。

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あけましておめでとうございます☆2012

2012

あけましておめでとうございます。
2012年、皆様にとって輝く年となりますように。

雑記帳として使っているMOLESKINEのページがちょうど年末で終わったので、新年から新調しました。
今回は期間が長かった。それまで1年前後で1冊のペースだったのですが、今回は2009年6月~2011年12月で、
約2年半で長かったな。
使いじめの頃は、今の会社に勤め始めてまもなくで、まだミシンも持っていませんでした。
ゆっくりではあるものの、進んでるんだなと実感しました。

2011年を振り返ると、まず注文靴の勉強を始めたことです。靴を作る術を学べたことは勿論なのですが、靴作りを通して、作って人に届けることについて考えが変わりました。
そして、やっと地面があらわれて、少しですが歩いて行くべき道が見えてきました。
あとはひたすら歩いていくしかないと思っています。

僕は相変わらずですが、
ちょっとずつ進んで行こうと思います。
どうぞよろしくお願い致します。

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2011年12月12日 (月)

二つ折りの財布・・・丈夫でシンプルで、長く使ってもらいたい

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靴を学びながら日々強くなってくる想い
長く使ってもらえるように、丈夫に。飽きずに使ってもらえるように、シンプルに。

前々回の記事の財布を更に進化させて、友人の為の財布を作りました。

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友人からのリクエストで
札入れ部分は金色です。

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この財布では中は主にミシンで縫製し、周囲はぐるりと手縫いしました。

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2011年11月26日 (土)

僕の極楽、あなたの極楽 ……僕の南無阿弥陀仏、あなたの南無阿弥陀仏。

すべてをひっくり返した法然という人はすごくって、南無阿弥陀仏と唱えることが、あらゆる経より修行よりも優っているとしたわけだけど
様々な因縁を抱えて生きる人にとって説かれた、念仏のみを唱えよという教えは今にも通ずると思う。

まずは自分にとっての極楽は何かということを知らなければならない。
そのうえで、あなたの南無阿弥陀仏に当たるのは何ですかか、なにを実践することですか、ということなるのだと思う。
それが今に通ずる解釈なんじゃないかと考える。

他力本願という言葉は、はじめから誰かを当てにするとことと誤解されるけれどもちろん全く逆。
自分の限りを尽くせば、そこから先開かれるもの、手を差し伸べる者が現れるということなのだ。

法然が比叡山のエリート僧侶達を批判したのは、その修行によって仏を目指すのであれば、結局それは自利の行為でしかないということ。
だからひたすら念仏を唱えることが何にも勝るとした。例え悪人であった者でも、そうすることで極楽への道が開かれるとした。

物質的な格差が拡がり、ネットによってフラットな空間が拡がり、夢か現かうつろいのこの世界。
僕の極楽、あなたの極楽。そこには何かしら共有できるものがあるだろうし。

僕の南無阿弥陀仏、あなたの南無阿弥陀仏。皆が行えば、少しづつ阿弥陀は手を差し伸べてくれるかもしれない、とか思ったりする。
せっせ、せっせとナムアミダブツ。。。

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2011年11月25日 (金)

二つ折りの財布・・・靴を作りながら感じたことをかたちにしてみた

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今まで革製品をすこしづつ作ってきたけれど、自分の中での本質的なものをつかめずにいて、どう作っていいものかいつも悩み、とりあえずいいなと思うものを真似して作ってみたりしていた。

靴の勉強を始めてから、ものを作って人に手渡すということについて、それまで以上に考えるようになった。革、もしくは革製品についても考えるようになった。

今の社会の中での革は、優れた素材というよりも、ステイタスの表現である面、つまりは高級素材として使われている感が強いと思う。
一方、よく耳にするのが、革製で高かったのに、こんなに簡単に壊れてしまって。。。という話。

靴や革製品は高級と頑丈がセットで考えている人が多い。

わかりやすいのは女性用の高級パンプス、これを話すとすぐに理解してもらえる。
manolo blahnikやjimmy chooなど、こういった靴はコンクリートを歩けばすぐにボロボロのなる。そもそも、運転手付きの車で移動してカーペットの上を歩く人たちのためのものだから。
でも革の財布となると、ちょっと驚かれる。高級な革の財布であっても、頑丈で丁寧な仕事故に高級なものもあれば、エレガントさをだす職人技故に高級なものもある。

だから英国王室御用達が売り文句のあるブランドの場合、エレガントさを重要視しているので、1年~数年でボロボロになる。
英国王室御用達だからといってエレガントであっても、頑丈ではないということ。

どちらが大切かは、買う人の考え方なので優劣はないと思う。

ただし作る方は、素材選び、作り方やディテールに生き方から、考え方が表現されてしまうということを意識しなければならないと思う。

そんなことを考えながら、試しに作った財布がこれ。まだまだ改良の余地はたくさんある。でも、やっと少し地に足がついて作ることを考えられたなったと思うのです。


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2011年11月19日 (土)

あいまいさ、すべてはあいまいなのさ

ふだん当たり前に口にしている単語がなぜか出てこない時がありませんか?その言葉の存在を知っているのにもかかわらず。だから、口から出ないもどかしさを強く感じますよね。

僕の父は十数年前にクモ膜下出血で倒れ、幸い今は元気なのですが、若干障害が残り、話せる単語が減りました。話している様子をみると、父もその単語が存在することはわかるのに単語が口に出せないようなのです。

けれど、なぜわからない言葉の存在に気付けるのか。おそらく、言葉は他の言葉によって定義されるということと関係があるかもしれないと思います。言葉、色、価値、僕らの存在、結局はまわりとの関係で輪郭ができてくるわけです。仏教なら空っていいますよね。

っていうとどうでしょう。定義があるものなんてないし、自ら正しいと証明できるものなんてない。でも、なんとなしに定義されるものがあり、時が刻み少しづつ積み上げたものが私であったり、あなたであったりする。

ならば、曖昧であるというのはそんなにも悪いことなのでしょうか。神は対立を強要されたのでしょうか。

比較宗教学者の町田宗鳳さんは十代の半ばから30の半ばまで臨済宗の僧として修行に励まれていました。無一文同然でアメリカに渡り、仏教を外から研究した方です。
町田さんは先日の連塾でこう話されました。二項対立の国で仏教のもつい曖昧さを、どう説明するかについて。「曖昧な部分を論理的に説明しようとはしません。曖昧さについて論理的に説明するのです。」と。
曖昧さは、曖昧さでいいんです。日本の曖昧さは対立をつなげ、一体化させることができるわけです。
対立がつくった世界は壁にぶち当たっています。ならばどうするか。日本の考え方にヒントがあるのではないでしょうか。

人は論理に頼れば頼るほど、絶滅の時を早めると思うのです。というと、いま不合理と言われてるもの、はたまた異人変人と言われるような人々が生き延びたりするではないですか、きっと。

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2011年11月 1日 (火)

メタボリズムの未来都市展、そして東京、ローカルな未来へ


Metabolism

メタボリズムの未来都市展へ行って、何かヒントを受け取ることはないだろう。あったとしてもそれはきっと反面教師的な何かでしかない、という思いで見に行った。

メタボリズムという運動は建築やデザインに携わった人でないとなかなか馴染みがないと思う。実際会場でも、メタボリック症候群と関連ないの?という小声がチラホラ聞こえてきた。。。やっぱりwww

会場の映像で川添登(批評家としてメタボリズム支えた)がメタボリズムという言葉が選ばれた経緯を話していた。
メタボリズムは新陳代謝という意味で、建築やデザインの生命力のようなものを示したかったのだそう。メタボリズムというと増殖のようなイメージが強いが本来それは一部でしかないとのこと。
新陳代謝がというテーマ先で、しっくりした言葉を探していたところ、和英辞典でメタボリズムが出てきたという。候補に上がった言葉には、輪廻転生、生々流転などあったそうな。
メンバーの人選について黒川紀章や菊竹清訓があまりにファンタジックな提案ばっかりするものだから、現実的な槇文彦や大高正人を入れたという話も面白い。

メタボリズムの建築は生命力がテーマになっている、といってもそれは環境との共生という考えはあまりなく、まるで巨大なロボットが年に登場するようなイメージのものが多い。メンバーたちは当時のどこまでも成長していくような都市に対してそれぞれが野心的な拡張のシステムを提案している。今の僕らが見れば、それらはまるでありえないことなのだけど当時はどの程度リアリティを感じていたのだろうか。

非建築家のヴィヴィアン佐藤さんは建築は弱いとよく言っている。六本木ヒルズ森タワーのような大きく頑強な建築も人や時代が変われば、あっさりと適応できない廃墟のようなものになってしまうのだからと。つまり単体であっても建築は弱い、それがシステムであればもっと弱いと言える。システムは全てを覆えない、いくら大きなシステムでもそれは結局内向きなものでしかなくて、拡張可能なシステムということ自体に矛盾を孕んでいる。

じゃあメタボリズムが今に何も残さなかったかといえば、そんなことはない。槇文彦の代官山ヒルサイドテラスは30年近くかけと少しづつ建築されてきた。ヒルサイドテラスの一連の建築は特にルールを設定していないながらも、統一感のある街並みをつくっている。やはり、システムのない創造の方が継続できるということなんだろう。

経済学者ハイエクは自由には、積極的自由と消極的自由があるといった。積極的自由とは、我々にとって自由とはこうだこういう社会を作るんだといった考え方。一方の消極的自由とは、社会を抑制するような権力や制度があってそこから自由になろうという考え方。ハイエクがいうのは、積極的自由はピューとぴあのようなものを作ったり、結局それを達成することで誰かが犠牲になるじゃないかということ。つまり、消極的な自由というのがあるべき自由なのではないかと言っている。
メタボリズムも積極的に未来を描いたものは長く続かないものであり、消極的に未来を示したヒルサイドテラスは代官山に馴染み、街並みをつくっている。

このメタボリズム展を見に行く前日AIT(http://www.a-i-t.net)の第4回東京事典で、森美術館館長南條さんの話を聞いた。これからの都市はセミラティスがキーワードになるという話だった。
セミラティスとは、ヒエラルキーがなく要素が関連しあうようなことで、それが東京なんだという話だった。そして、東京の衷心は空虚な皇居である。だいたい世界の都市は歴史的にヒエラルキーが存在し、レジスタンスがあり、自由を奪い合う経緯をもっている。東京はそれがない、とても稀な都市なのだ。
今東京をブランディング仕様という話がるらしい、でもきっとうまくいかないと思う。意図的に切り取って、際立たせるというのは東京らしくない。

システムというのは神や愛のように、誰かにとってもしくはその集団にとっての崇高なものであり、何かしらを排除してしまう。一方、セミラティスというのは心粋のようなちょとした親切で、見返りを求めないし、誰もが与え与えられるよう関係によるものなものなんじゃないかと思う。

建築の話からは少し離れるのだけど、AIT第4回東京事典でヒントとなりそうに思えた事を2つほど挙げたい。
アーティストの藤浩志さんが東京という都市の未来へとつながるヒントを与えてくれた。藤さんはこのように例える。土・・・その土地やその土地の人々。種・・・その土地にある特徴。風・・・外部からやってきて、何かをする人(アーティストやコンサルタント)。光・・・メディア、批評家。水・・・関心をもって集まってくる人々。藤さんはこの水に関心をもっていて、水を集め水で栽培をするにはということを考えながら活動をしている。
これまで都市や街を活性化しよという時、「土」や「種」もしくは「風」にばかりが取り上げられてきた。藤さんは、あまり注目されてこなかった「水」こそ活性化の重要なファクターなのではないかという。
「水」は流れにもなるし、さっと引いていくこともある。人々は好きなもの関心のあるものに直感的に集まり、飽きれば離れていく。この理性や論理や利己のあまり介在しない「水」という存在を

もう一つは、南條さんが話していた隙間。戦後の力強い復興をした日本と今の中国に共通することは社会に隙間があったこと。今の日本は社会がシステムで雁字搦めで新しいものが生まれにくいようになっている。一方、中国は社会が整備されておらず不安定ではあるものの、法を始めとし様々な隙間があり、それが社会を力強いものとしている。


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  メジロスタジオの試みは合理性を逆手に取るというかたちの隙間から生まれたクリエイションの一例といえるかも。。。


東京のみならず、日本は集団が点々としそれがひしめき合うようなことでバランスをとってきた。それが基質だったわけで、元来がセミラティスの性質をもっていた。
そんな日本が海外の都市にいくら倣うことを考えても、何も始まらないのではないかと思う。

もしメタボリズムの未来展に行かれるのなら、日本らしい都市をイメージし、遠い未来の影を感じとってみてください。

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2011年10月 8日 (土)

ドキュメンタリー映画「幸せな時間」

知り合いが宣伝をしている映画で、この予告しか見ていないのですが
色々と思うことがありました。

僕の近親者の中には、ガンと認知症がいないのです。僕の家系はどちらかというと、脳の出血とかそういう系統です。

この映画ほど大変な状況ではなく、もっとありきたりですが、僕の記憶に重なるのは母方の祖父母でしょうか。

祖父母は、伯父夫婦と同居していましが、寝たきり状態の祖母の介護でいざこざが起き、家を売り、二人で老人ホームへ入りました。

祖母は2年前になくなりましたが、91歳になる祖父はとても元気です。いまでも電動自転車に乗って散歩したり、趣味のカメラは90歳にしてやっとデジカメに変えたりと。

祖母はちょっといい家柄だったらしいのです。そして、孫の僕がいうのもなんですが女優の様な顔立ちでした。一方の祖父は骨太でがっちりとしたジャガイモの様な風貌。
祖母がまだしっかり話せた頃こっそり聞かせてくれたことがあります。
二人は戦時下にお見合いで結婚するのですが、プライド高い祖母はそんな祖父と結婚したくなかったのだと。

互いに忙しくすれ違いばかり、趣味も性格もなに一つ共通点のないような夫婦は、
最後の五年ばかりをゆっくりと二人きりで過ごしたわけです。
本当にただ一緒にいただけの時間、祖母の状態からすると、おそらく大した会話もなかったでしょう。

延命処置をせず、祖母は安らかに最後を迎えます。斎場の都合で葬儀までは3日ありました。
祖父は毎日祖母の亡骸に会いに行きます。その行き帰りも、対面の時もいつもと変わらぬ表情でした。

幸せってなんでしょう。
社会学者・見田宗介さんは幸せは豊かさからではなく生きる歓びに由来すると書いてます。ニーチェや仏陀が悟ったのも、星の王子さまが気づいたものもそんなことなんだと思うのです。

人間ってのは、生物としてだけでは生きていけなくて、社会の中でも生きていかねばならなくて。下心なく生きていきたいけど、なかなかできなくて。

祖母は徐々に記憶が朧げになり、あまりうまく話せなくなっていきました。そんなでも、会いに行くと必ず僕に聞くのです。

結婚はしないの?好きな人はいないの?

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