« 結婚ってなんだろうねぇ・・・独身男性かくかたりき | トップページ | シリーズ…くつやのまるちん 3足目 »

2009年6月27日 (土)

陰翳礼賛・・・柔柔と深い

「われわれ東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。」

谷崎潤一郎のエッセイ『陰翳礼賛』(いんえいらいさん)より

日本に生まれ日本人として生きている自分なのに、いつもどこか心そこにあらずというか、これかもしれないと思いながら別のことかもしれないと思う。日本のことを考えるといつもそんな自分がいるのだけど、このエッセイを読むと、そこに座ればよいのですよと言われて座ってみて、気が付けばすんなり安堵する自分がいた。やはり日本の文化の奥に心がすいすいと染み渡っているのだと、初めて本質に触れたような気持ちになった。
日本人なのに日本人であることが良くわからず、その文化に全 く触れぬこともないし、知らぬわけでもない。何か落ち着かず、知りたいから時に実物を見たり、本や雑誌、テレビ・・・で触れる。でも日本のそれを知ろうとそこに飛び込むと何かとらえどころがなく、西洋と言う雑念が潮となりなかなかそこにたどり着けない。やっとの思いでたどり着くとそれはタダ浮いたブイのようなもので、また次を探さねばならずついぞ足を休める場所など見つからない。結局もとの混沌としたところへ馴染んでいかなければならないようなことが繰り返される。
このエッセイは云う。あなたは少し力が入りすぎているだけだから、こうしてみたらよい。こうしてみたら、すぐ近くのそれもそれも日本であるということがおわかりいただけると。するとあれ散々としていたものが、まるで塊のようになり腹の奥に落ちた。

何より知ってほしい文章なので、引用を続けます。

「美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。」

「われわれの祖先は、女というものを蒔絵や螺鈿と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を蔭に沈めてしまうようにし、長い袂(たもと)や長い裳裾(もすそ)で手足を隅の中へ包み、或る一箇所、首だけを際立たせるようにしたのである。なるほど、あの均斉を缺(か)いた平べったい胴体は、西洋人のそれに比べれば醜いであろう。しかしわれわれは見えないものを考えるには及ばぬ。見えないものはないものであるとする。強いてその醜さを見ようとするものは、茶室の床の間の百燭光※の伝統を向けるのと同じく、そこにある美を自ら追い遣ってしまうのである。」
(燭光は光の単位、つまり百燭光はすごく明るいこと)

「案ずるにわれわれ東洋人は己の置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いということに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、したがってその闇に沈潜し、その中におのずからなる美を発見する。然るに進取的な西洋人は、常によき状態を願って已まない。蝋燭からランプに、ランプからが瓦欺(ガス)燈に、瓦斯燈から電燈にと絶えず明るさを求めて行き、わずかな影をも払い除けようと苦心する。」

「漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされて島ているが、それは一つに葉、最高や照明の設備がもたらした[明るさ]のせいではないだろうか。事実、[闇]を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていい。」

「鉄漿(おはぐろ)などという化粧法が行われたのも、その目的を考えると顔以外の空隙へ悉く闇をつめてしまおうとして、口腔まで暗黒を啣ませたのではないだろうか」

心地よい文章の中に、しっくりとくるものが沢山詰まっています。文庫で50ページほどのエッセイです。ゆっくりとした日にぜひご一読ください。

|

« 結婚ってなんだろうねぇ・・・独身男性かくかたりき | トップページ | シリーズ…くつやのまるちん 3足目 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 結婚ってなんだろうねぇ・・・独身男性かくかたりき | トップページ | シリーズ…くつやのまるちん 3足目 »