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2009年7月

2009年7月27日 (月)

Happy rainbow

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2009年7月26日 (日)

オモテウラ・・・ウソホント

表面的なことに執着している人は自分を見失っている。

そんな人には少しでも自信を持ち直してもらって、原寸大の自分に今の環境に感謝しながら次のステップへ進んで欲しい。

表面的なことに執着している人は自分に不満を抱えながら生きる。
独りならそれでも構わないが、だいたいの場合、その身近な人に迷惑をかけてたり心配の種となるが…それならまだいい。

表面的なことに執着している人が増えている。
大勢を占めてくるとどうなるか。世の中はグラつく、もしくはグラつかされる・・・いとも簡単に操作さられる。

8月30日に選挙がありますね。
日本のことを決める大切な選挙です。
誰が本当のことを話しているか、よく考えて投票しましょう。真実を知るためには一方向の情報だけではダメで、多方向から知る必要があります。

以下に紹介する動画と本。選挙前に見ることをオススメします。テレビがつまらないときにでも是非ご覧になってみてください。とても興味深い内容です。

これらが事実か否かは皆さんの判断です・・・僕もわかりません。
ですが、テレビや新聞も同じです。疑ってばかりの生き方はつまらないですが…世の中は思っている以上に誰かにとって都合の良いようになっているかもしれない…ということは頭の片隅に入れておきましょう。

動画

ルースチェンジ2
ツアイストガイスト

書籍

売国者たちの末路
 
暴走する資本主義





○暴走する資本主義


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2009年7月21日 (火)

「いき」な女

この連休久しぶりに読書をしました。
読んだのは、九鬼周造著 「『いき』の構造」。
書かれたのは昭和5年。読もうと思ったのは90ページ程度と短いのと、僕の日本を知ろうプロジェクトも進めないとと思ったからです。

ですがね、読んでみると自分が描いていた「いき」のイメージとズレがありました。でもこの本は名著なので、当時の「いき」がここに書かれている通りであったとすると、「いき」という言葉は本来の意味から離れてだいぶ独り歩きしていると感じました。もしくは、僕があまり文学いに触れてこなかったからわからなかったのかも。

まず、「いき」は3つのイメージの融合で、その3つとは「媚態」「意気地」「諦め」です。特に「媚態」がベースとしてあり、そこに「意気地」、「諦め」が絡むことで「いき」になります。
ではまず「媚態」から。「媚態」とは異性間の交わり、正確に言えば交われるであろう可能性が十分にありながら交われない、交わっていない感じ。例えば著者は永井荷風の文章を引用してます。『得ようとして、得た後の女ほど情けないものはない』って言ったらわかりやすいのではないでしょうか。「いき」とはその可能性が可能性のまま開かれた状態なのです。
続いて「意気地」これは江戸っ子のもってる活気のような、俺に任せろ~やったるでぇ・・・見たいな感じ。また侍魂のようなものでもあります。
そして「諦め」、これは現実に執着しない、これから先はどうとでもなれみたいな雰囲気。

「いき」という言葉は上品とも下品とも違う。「いき」なものは価値があるという点で上品と同じだけれど、「いき」のもつ媚態は下品に通じる。
また派手とも地味とも異なる。媚態や意気地は派手と通じるけれども、「いき」には「さび」の要素がありそれは諦めに通じる。だからこそ垢抜けていたり、瞬間的な美があったりする。

ではここで寄り道、あるブログに2つのビールの広告がそっくりだと取り上げられてました。(リンク先の画像のがおもしろいのでぜひ見てください)


Photo

Photo_2



































男性の方、ウッチーと壇れい、どちらが好みですか?
女性の目線ではどう思いますかね。どちらが好きとか嫌いとか・・・あまり興味ないかもしれませんね。
どちらも綺麗な方だとは思いますが、この2択を男に選ばせたら壇れいを選ぶ人が多いと思います・・・たぶんですけど。

何故か・・・それでは「いき」の話に戻りましょう。

ではこの「媚態」とその他の2つ「意気地」、「諦め」の絡みについて考えてみますね。僕なりの解釈ですから、少し本から離れてきますが・・・。

まず「媚態」と「諦め」から
諦めの状態、つまりはどうでもいい、この際今がよければどうでもいい。そして媚態に諦めがあれば、より燃え上がれる可能性が出てくるわけですね。
またこの2つの絡みにはもう一つの意味がありますそのとき男は「諦め」に対してこんな都合のいいこと言えたりする訳です「俺について来い、俺といれば幸せにしてやるぜ」と・・・まっ大体はそのときだけの無責任発言ですがね。男は「諦め」の香りのする不幸そうな女性、陰のある女性にどこか魅かれる。それは男自身が男になれる気がするからだと思います。幸せそうな女性をより幸せにすることは難しい、けれど今不幸な人なら幸せにしやすいのでは・・・と浅薄な考えをする。男らしさや正義感を発揮する・・・というもう一つの満足も得られる。

次に「媚態」と「意気地」。
わかりやすく言うと、いかにもエロそうな女性はそれなりのものしか感じません。露骨な媚態は媚態にあらずであり、届かぬところにある媚態こそ最高の媚態。ですから活きの良い女性、度胸のある女性の媚態こそ手の届きそうで届かぬ最高のものなのです。
またこんな意味も考えられます。強い女性に甘える、またはその強さを自分に捧げてくれる・・・場合によっては一緒に心中してくれるような。

著者は「いき」な事例としてこのようなものを挙げています。
薄化粧、柳腰、軽く結った髪、薄い着物、湯上り姿、縦縞の着物もの

「『いき』の構造」を踏まえて僕なりに考えたこの「いき」・・・ずいぶんとヤラシイ男心の塊だと、情けない男の女性に対する勝手な思い、瞬間的な恋心を言葉にしたものだと結論に至りました。

逆に女性が「いき」を演じるのだとすれば、それは最もシタタカな女ということになります。

そんなことを考えながらウッチーと壇れいを見比べてください。
どちらの方が「いきな女」に見えますか?

日本文化というより日本のエロスみたいになってしまいました。
まっ・・・エロスも文化ですからね。

女性の方・・・気になる男の気を引きたければ、是非「いきな女」を演じてみてください。
男性はいつまでも「いきな女」を求めぬように。

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2009年7月19日 (日)

本質という刀・・・DEITER RAMS展

DIETER RAMSというデザイナーの展覧会に行って来ました。

彼は永らくBRAUNのデザインを引っ張ってきた人物であります

彼がデザインした、もしくはマネジメントしたBRAUN製品の数多くがニューヨーク近代美術館に収蔵されています。今で言えばappleのJONATHAN IVEでしょう。ですがデザインという素地がなかった時代のことですし、その後に与えた影響の大きさを考えるとそれ以上の存在かもしれません。バウハウスやウルム造形大学などドイツでは戦前からモダンデザインを産業に活かしていこうという活動が行われていて、その精神を受け継ぎ、成立させたのがDIETER RAMSです。工業デザイン史は彼抜きでは語れません。

彼の有名な言葉に『LESS BUT BETTER』があります。可能な限りそぎ落とす、しかしながら美しく使いやすく。以前から彼のデザインが好きです。何がいいかって、シンプルさ。いや、シンプルで良い物こそ安易にシンプルと言ってはいけませんね。シンプルでよいものは、その製品を成す要素の一つ一つがとても重要な役割を担い、それに加え他の要素との呼応が絶妙でなければなりません。
下の写真は彼の出世作「SK4」です。白雪姫という愛称で呼ばれています。見てわかるとおりシンプルですが、いわゆる冷たさを感じるそれではなく温かみのあるそれなのです。
この製品のシンプルな美しさは、素材美、機能美、人間味の3つがとても高いレベルで調和することで成立しています。性格には素材美と機能美を人間味が包み込んでいる野が正しいかな。四角でも丸でもない絶妙な過度のR、トーンアームには唯一有機的な造形が与えられてこの製品に表情を出している。排熱スリットからスイッチまでグラフィック的に配置されています。金属、木、プラスティック、塗装といった素材感にも温かみがある。

 2009071901_2


2009071902






























展覧会の最後に彼のインタビューが流されてました。
「私は素材を本質に還元してきた。」
この言葉、刀を眼前に寸止めされたような身動きの取れない、胸の詰まる思いがしました。
わかっている。それが大事なことはわかっている。
でも改めて云われると痛烈に響きます。靴の本質、よく考えることがあります。
履き心地、美しさ、素材へのこだわり、丁寧に作り上げること・・・靴に込めるべき本質は色々あります。ですがまだ他に、僕なりの何かがあるはずだと思っています。

そして僕も持つであろう刀。
持たねばならぬ刀。






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シリーズ…くつやのまるちん 5足目

今週からミシンをかけさせてもらってます。あまり目立たない場所をね。

工業用革ミシン…ペダルでスピードを調整するのですが、なかなか難しいのです。
工業用ミシンはモーターは回転し続けて、クラッチのつなぎ具合でスピードを調整します。自動車のクラッチと似ていますが、かなりつながりやすいので、少し踏んで動き出さないので…もう少し踏むと猛スピードで動き出します。
だいぶ慣れましたが、思うように操れるまでは遠そうです。

その一方で、先日届いた道具で手縫いの革細工をはじめました。ある程度までできるようになったらネットや口コミで売っていこうと考えていたのですが、とても手縫いじゃ数が裁けません。

趣味でなく仕事にするわけですから、生活しようと考えてるわけですからね。
ってなわけで、早々に中古ミシンを探そう。

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2009年7月17日 (金)

The light is ….

The light is ….

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2009年7月10日 (金)

・・・

・・・

・・・

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2009年7月 5日 (日)

そんなことギリシャ時代から変わっていない

NHKラジオの高校講座をよく聞きます。

とても勉強になるし、なんといってもわかりやすい。

ソクラテスが言っていたそうです。
そう・・・無知の知で有名なソクラテス。

現代社会のプログラムでテーマは「よく生きる」

ただ生きるのではなく、よく生きる。

ソクラテス、彼は生涯「よく生きる」を探求したそうです。

ソクラテスにとっての「よく生きる」とは

よく生きるためには無知の知を自覚し、よく考えてよく生きる

ソクラテスの妻は鬼嫁だったそうです。
結婚に悩む若者に助言したそうです。
「良い女を妻にしたら喜びなさい。幸せな家庭が築けるだろう。悪い女を妻にしても喜びなさい。哲学者になれるだろう。」

哲学者・・・ねぇ。

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井の頭公園

いつも思う
井の頭公園に集う人は皆幸せな顔をしている

 

緑の匂い

不思議な音楽

奇怪な動作

色んな服装
老若男女、お洒落な人も…そうでない人も
これほど場違いな人がなく、馴染んでいる
井の頭公園のドレスコード

自由
表現の自由
心からの表現の自由

幸せ
つながる幸せ
人と自然がつながる幸せ

刻まぬ時間に
漂う存在である
幻に

井の頭公園


井の頭公園

 

 


 

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雑感

昨日は休みになったのでまず部屋の掃除。今更ながら出しっぱなしになっていたヒーターなどを奥にしまう。

道具は大体揃ったので革を買いに革屋へ出かける。革屋も布屋も土日祝日は休みが多いので、事前に調べて店に行く。

綺麗な革を2枚…革屋さんで1枚と言っても牛1頭分が1枚だから大きいのです…黒い革とヌメ革を購入。
最近は会社に革がたくさんあるので見慣れたもんだけど、いざ1枚の革(1頭分の革)買うと思うとチョット大それたことをした気分がする。

その後…新宿の東急ハンズへ。
型紙用の紙を買って、革コーナーで道具など見る。

今はどこもかしこもsaleなのだけど、新宿高島屋などは以前であれば通常の土日程度の混み具合。買い物袋を提げている人は少ない…つまり買ってない。

本当に必要なもの、本当に欲しいものを買う。そんな世の中になって行くのは良きことに思う。

筒状に巻いた革を手に持ち、又は肩に担いで歩く。建築学科の学生だった頃を思い出す。よく右手に図面ケース、左手に模型の材料を提げてクリエイター気取りで歩いたもんだね。
30歳になってまたそんなことするようになるとは

ひと休みとコーヒーをすすっていると…カップルが隣に着座…男は草食系。一方的に自分の仕事の話を永遠と…そして彼女は明らかに上の空、目線は明明後日。そりゃそ〜だよね〜たいへんだねぇ〜。

その隣で僕はスケッチしながらまず何を作るかを考えて決めた…名刺入れ。理由は…初心者向きなのと、名刺は人と人をつなぐから。


そして夜はコンビニの深夜バイト。 週1日のコンビニのバイト代は約36000円。自分で作ったものを売って、粗利でこの金額を得るようになるまでどれだけかかるだろうね。
良いもの作ればお客さんは集まてくるはず。
まずは着々と進めることが大事。デザイン決めて、型紙切って…試作第1号を仕上げることですね。

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2009年7月 4日 (土)

シリーズ…くつやのまるちん 4足目

突然ですが

今日荷物が届きまして。

シリーズ…くつやのまるちん 4足目

それは何かと言いますと

ひっぱる

ひっぱる

さらにひっぱる

ジャン♪・・・これ↓

シリーズ…くつやのまるちん 4足目

”革加工道具セット”

会社での仕事を通して身につくこともあるけれど、
自分でゼロから作ることもしていかないと。

少しずつ設備投資もしてね。

とりあえず小さなことでも、できることからやっていきます。

 

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2009年7月 3日 (金)

虚空から空・・・不安さえも力に

人は不安や苦悩を力に変えることができる、そう思います。
その積み重ねが、己の真実となり、核となり、自信となるのです。
力に変えることができている人は以下に書き綴ることを理解できるだろうし、力に変えられない人は下記の記述についていまいち理解に苦しむとは思いますが、一つの方法としてあたまの片隅に入れて頂き、もっときちんと不安や苦悩と向き合ってみて下さい。
こんな書き方をすると僕は人生を達観しているようで偉そうに思われるかもしれませんが、自分でもこれを実践しながら、時には泥沼にはまり、時には崖っぷちを歩き生きています。ただこの感覚を会得する以前は、手を差し伸べてくれる人がいても泥沼にはまって動けずにいたり、崖っぷちには近づかない生き方をしていました。
このことを実践しないでも生きてはいけますが、なかなか前に進めなかったり、望まない生き方を歩むことになると思います。

ならばさっそく、虚空と空について。

虚空と空は禅の言葉であるけれど、僕なりの解釈で話をしているので、禅のそれとは一致しないことをご理解ください。

虚空とは・・・
虚しさであり、空っぽであり、焦りや不安が胸の奥をグ~ッと締め付けているような状態。このとき自分の身体は、空っぽを満たしたい欲求、或い満たさねばという切迫感や焦燥感に支配されたようになる。 とりあえずこの空っぽをどうにかして埋めたいと思う・・・そんな状態。

空とは・・・
「空」とは虚空を超えた空っぽの状態。しかしそれは虚空でのそれではなく新たな可能性へと変異している。「空」での空っぽは新たな可能性へ向かうゼロ地点であり、空っぽは可能性を受容する為の空っぽとなっている。

空へ
まず虚空の状態は何がなんだかわからない。何が大切で何をしなければならないのかわからない。本来やりたいこと或いはやらねばならぬこととどうでも良いその場限りの楽しみが同等のように思える。するとある時、胸の奥の虚しさに気付く。そしたらそれは何なのか、何故かと自分に問うことつまり内省をしてください。それによって自分の内面の錯覚や誤認を解くことができます。
虚しさを何で埋めるかは人それぞれなのだけど、価値に依存したり逃げ場を作って埋め合わせてしまう。 わかりやすいのが現実逃避。物を買ってみたり、娯楽に時間費やしたり、人肌の温もりに身を沈めてみたり、これらは一時的に満たされたようになるものの長く持続することはなくすぐに背後から迫る虚しさに飲み込まれてしまう。そういった中で酷い人は、他人への依存が激しくなる、酒におぼれる、女(或いは男)にはしる、ギャンブルにはまる、情報過多になる・・・で埋めようとする。
もう少し複雑で本人も気付にくく、きちんと内省しないとわからないのが価値への依存。例えばブランド品であったり、知識や資格であったり、経歴 や学歴を所有することで自分のポジションやステータスを上げようとする。知識や資格や経歴は手段としてあるべきものなのに、それをまるで自分の存在価値の ごとく勘違いをしている。自覚して目的の為の手段として習得に励むのが適切なのに、それを得ることで自分が前進できているかのように錯覚する、或いは錯覚していることに気付かぬ振りをする。
そして、そんな虚空の状態が続くと虚しさが溢れ、空っぽを埋める行動さえ虚しくなる。すると突如として自分の内から、または外部からの刺激を契機として一気に振り切れる。何かを悟るかのように。すると空っぽの中の虚しさは本質を求める欲求へと変異し、空っぽは可能性を受け入れる器「空」となる。

いち早く空へと向かう為に、僕がしてることがある。それはわけがわからないならわからないなりにがむしゃらにやってみること。それが自分にとって正しいかわからなくていい。もし正しくなければ虚しさはより大きなものとなり、その背後に感じ取るべきものをより感じることができるのだから。すると空への変異が早くなる。
逆に何でも生ぬるくやっているのは良くない。身体と心は刺激とそれを感じることによって繋がっているのだからストレスの少ない生き方をしていれば何もわからない。

だからこそ今生きていることに感謝し、時間を無駄にしない。

ということを思うのであります。
僕も頑張ります。

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