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2009年7月 3日 (金)

虚空から空・・・不安さえも力に

人は不安や苦悩を力に変えることができる、そう思います。
その積み重ねが、己の真実となり、核となり、自信となるのです。
力に変えることができている人は以下に書き綴ることを理解できるだろうし、力に変えられない人は下記の記述についていまいち理解に苦しむとは思いますが、一つの方法としてあたまの片隅に入れて頂き、もっときちんと不安や苦悩と向き合ってみて下さい。
こんな書き方をすると僕は人生を達観しているようで偉そうに思われるかもしれませんが、自分でもこれを実践しながら、時には泥沼にはまり、時には崖っぷちを歩き生きています。ただこの感覚を会得する以前は、手を差し伸べてくれる人がいても泥沼にはまって動けずにいたり、崖っぷちには近づかない生き方をしていました。
このことを実践しないでも生きてはいけますが、なかなか前に進めなかったり、望まない生き方を歩むことになると思います。

ならばさっそく、虚空と空について。

虚空と空は禅の言葉であるけれど、僕なりの解釈で話をしているので、禅のそれとは一致しないことをご理解ください。

虚空とは・・・
虚しさであり、空っぽであり、焦りや不安が胸の奥をグ~ッと締め付けているような状態。このとき自分の身体は、空っぽを満たしたい欲求、或い満たさねばという切迫感や焦燥感に支配されたようになる。 とりあえずこの空っぽをどうにかして埋めたいと思う・・・そんな状態。

空とは・・・
「空」とは虚空を超えた空っぽの状態。しかしそれは虚空でのそれではなく新たな可能性へと変異している。「空」での空っぽは新たな可能性へ向かうゼロ地点であり、空っぽは可能性を受容する為の空っぽとなっている。

空へ
まず虚空の状態は何がなんだかわからない。何が大切で何をしなければならないのかわからない。本来やりたいこと或いはやらねばならぬこととどうでも良いその場限りの楽しみが同等のように思える。するとある時、胸の奥の虚しさに気付く。そしたらそれは何なのか、何故かと自分に問うことつまり内省をしてください。それによって自分の内面の錯覚や誤認を解くことができます。
虚しさを何で埋めるかは人それぞれなのだけど、価値に依存したり逃げ場を作って埋め合わせてしまう。 わかりやすいのが現実逃避。物を買ってみたり、娯楽に時間費やしたり、人肌の温もりに身を沈めてみたり、これらは一時的に満たされたようになるものの長く持続することはなくすぐに背後から迫る虚しさに飲み込まれてしまう。そういった中で酷い人は、他人への依存が激しくなる、酒におぼれる、女(或いは男)にはしる、ギャンブルにはまる、情報過多になる・・・で埋めようとする。
もう少し複雑で本人も気付にくく、きちんと内省しないとわからないのが価値への依存。例えばブランド品であったり、知識や資格であったり、経歴 や学歴を所有することで自分のポジションやステータスを上げようとする。知識や資格や経歴は手段としてあるべきものなのに、それをまるで自分の存在価値の ごとく勘違いをしている。自覚して目的の為の手段として習得に励むのが適切なのに、それを得ることで自分が前進できているかのように錯覚する、或いは錯覚していることに気付かぬ振りをする。
そして、そんな虚空の状態が続くと虚しさが溢れ、空っぽを埋める行動さえ虚しくなる。すると突如として自分の内から、または外部からの刺激を契機として一気に振り切れる。何かを悟るかのように。すると空っぽの中の虚しさは本質を求める欲求へと変異し、空っぽは可能性を受け入れる器「空」となる。

いち早く空へと向かう為に、僕がしてることがある。それはわけがわからないならわからないなりにがむしゃらにやってみること。それが自分にとって正しいかわからなくていい。もし正しくなければ虚しさはより大きなものとなり、その背後に感じ取るべきものをより感じることができるのだから。すると空への変異が早くなる。
逆に何でも生ぬるくやっているのは良くない。身体と心は刺激とそれを感じることによって繋がっているのだからストレスの少ない生き方をしていれば何もわからない。

だからこそ今生きていることに感謝し、時間を無駄にしない。

ということを思うのであります。
僕も頑張ります。

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