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2009年9月 5日 (土)

正しい神とは・・・神は必要か・・・

最近考えていることを少々。

何が正しくて、何が正しくないか。

そんなことは一概に結論付けることはできない・・・時には人を殺すことだって良しとされてしまうのだから。

社会学者宮台真司が『日本の難点』で、「社会には底がない」ということはだいぶ前からわかっていたけど、ここに来て実際に皆が「底がない社会」で生きなければいけなくなったことに気づき始めたみたいなことをいっていた。底とは、これは正しい、ここまでは正しいと確信をを持てる精神的な基盤でと言えるようなものであり、自信とも安心ともいえるもののこと。人や社会は今の状況をこの底をベースに一段一段積み重ねてきた結果ように捉えていると思う。

そう、実際はそんな底などない。例えば、戦後は、いや最近までアメリカが底としてあって、それを信じれたからこそ前へ進みやすかった…とかね。
今、社会が本当に底がないことを実感しているのだと思う…このなんとなく不安な世の中に。何を信じたら良い?
一体いつから間違えていたの?
こんな欲と欲のぶつかり合いにイヤ~!
真っ暗な未来なんてイヤ~!ってね

そんな時に誰しも気になる存在がいる。「底」にしたいから頼りにする存在がいる。
そう「神」。
「神」とはいったい・・・

僕は神を信じています。だからどんなものか知りたいと思う。
神とは何か・・・僕なりの考えはありますが、これは一人ひとりが考えるべきことだから言いません。よく感じ、考えた先に見えてくるものだと思う・・・たぶん。

僕は以前はこんなふうに思っていました。
神は信じたい・・・と同時に何か引っかかる存在。
僕は理屈っぽいから、どうも腑に落ちない神がある。

最近政治の記事を読んだり、経済の本を読んだりする一方、宗教に関する本を読んだりしました。その中でわかったのは嘘の神・・・つまりは意図的に創造された神(或いは仏)の多いこと。

こんなことを書くと神を疑え!って思われるかもしれませんが、むしろ逆です。僕がなぜ宗教に関心があるかということを、梅原猛の『仏像のこころ』から引かせていただきます。

「美しい幻想に満ちた阿弥陀浄土を作り出した人びとは、恰もその浄土を実在する厳正以上に実在性を持ったものであると信じた。それによって彼らは絶望と不安をまぬがれつつ、人間に美しい美と倫理への確信を与えた。しかしわれわれは今、こういう心のカラクリに対してあまりに敏感になりすぎている。創造物を実在物と思い込む進行に対して、その想像力が多くの成果を人間に与えたとしても、それを直ちに信ずることにわれわれは理性の反発を感じるのだ。
・・・浄土不信の状況にある現代人は、・・・・現生に対する絶望を癒すものはなく・・・ノイローゼや精神分裂症となり・・・もはや現世の功利に対する倫理下愛し得ないものとなる。
・・・浄土教が与えたような生の意味づけを、神や阿弥陀を信じないことでわれわれは得ることができるか。現世への是t棒や氏への不安を癒し美や禅へのあくことのない憧憬のこころを起こさせることが、神や阿弥陀無しにできるかということである。」

最近は仏教、特に空観(くうがん)と法華経についての本を読んでいます。
その話はまたいつか。


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