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2009年11月 3日 (火)

寂しさは何のためにあるのか考えてみよう

今の日本の中で、私は寂しい、私は孤独であると言う人の中に、果たして本当に避けられない寂しさや孤独感を抱える人はどのくらいなのだろうかと考えてしまう。

モーリー・ロバートソンがラジオで・・・寂しいというのは主観的なものでしかないのかもしれない・・・と言っているのを聞いて「寂しさ」とその意味について一気に考えが浮かんできた。あくまでも私観で乱暴かもしれませんが、書きます。

まず、①今時の寂しさや孤独感がについて、
その後、②寂しさという感情が何のためにあるのか
を書こうと思う。

① 今時の寂しさや孤独感がについて

今回僕が語る寂しさは比較的若い人たちが抱える寂しさについてかな。
若い人の感じる寂しさはどうにかなる寂しさであることが多いと思う。だけれど、その寂しさをきちんと捕らえないと、後々どうしようもなく避けられない寂しさや孤独につながってしまう。是非一歩立ち止まって気持ちを整理するようなことをして欲しい。
だから書くのです。

最近の若者は比較的寂しさに弱いと感じています。別に見せられるデータがあるわけでもなく、直接彼らと話しているとそう思うのです。若者と言っても現代の日本人は幼いので若者という括りが適切かわかりませんがね。
若者の寂しさってそもそも本当に頼る人も友達もいない、ってことはめったに無く。家族もいたり、少なくとも何人かの友人がいたりするわけで、それなのに寂しい寂しいと感じるわけで。
じゃぁその寂しさ、そのどうにかなる寂しさって何?というとハッキリ言ってこうでしょ?

『私は◯◯と比較して寂しい』

違うかな?寂しい寂しいと感じている人。ピンときていないかな?でもなんか胸に刺さったんじゃないかな。
でもこの寂しさがが発端となって、スクスクと肥大していって、抜け出せなければ、名実ともに孤独というか、世の中から置き去りにされるという悲劇にもつながります。

寂しいと言う人や、本人は自覚していなくても(つまりは表面はポジティブな偽装元気)寂しさ故の行動をしている人を見ていると、何故?って思うことがあります。家族もいたり、多くはなくとも友達もいるのに寂しいというのですから。
そ してその寂しさの原因は・・・というかあえて原因といえば、何かとの比較なわけです。その比較対象とは、良い人間関係や人脈を持っている様に思える友人、 華やかそうなセレブな世界、また自分都合の理想的なのコミュニティ・・・などなど。そういったことと比較して、僕なんか、私なんかと言っている。話す人が いない、わかってくれる人がいない…寂しい…と。

そんな人たちは思う。△△さんはいつも誰かと一緒にいるのに、私は独りでいることが多い・・・なんか寂しい・・・と。
でもちょっと待って欲しい・・・そんな表面的なところで誰が寂しいの寂しくないのと判断して欲しくない。
その人は寂しさを埋めたいから沢山の人に会っているのかもしれないし、義理でやむなく会っているのかもしれないし。
確かに寂しいと思っている時はそんな面倒くさい人間関係でさえも羨ましく思えたりする。
僕もそんな時があったし。

人はそういう量的なところで結構惑わされてしまうんだよね。
少し横道にそれるけど、例えば趣味の場合。よく履歴書に趣味の欄があって何を書くか迷うのだけど、以前はそんな何を書こうか迷っている自分に劣等感を持っ たこともあった。でもね、この年になって思うのは、「多趣味な人≠魅力ある人」なこと。確かに趣味が多いということは、その人の好奇心のバロメータにな る、けどそれだけ。この人スゴイなぁとか、この人詰まってるなぁ、スゴイ言葉を言う人だなぁとか・・・そんな人はやっぱり、どれだけ真剣に生きているか、 考えて生きているかという人なわけで。先日も二十歳くらいの若者が、写真を趣味にしたいから一眼レフのデジカメを買おうと思う・・・スゴイカメラの方が 凝ってるっぽいし・・・なんて言ってたけどさ。
若者に限らず、人は表面的なところで判断しがちなわけで・・・。

寂しさの話に戻すと、じゃあ何かと比べる寂しさから抜け出す為に何から始めればいいかということ。
まずやってみて欲しいのは、家族や友人の名前を書き出して欲しい。
たったこれしかいないのかと思うかもしれないけれどさ、そんな気持ちを抑えて書き出した人の顔を思い出してみて。
その人との思い出はどんなかな?

何が言いたいかというと、人と比べるんじゃなくて、まずは自分のまわりにいてくれている人に感謝して欲しいということ。
ナンだよそんなことかよって思うかもしれないけど、まずはそこからだよ。

② 寂しさという感情が何のためにあるのか

じゃあ次は、何で寂しさという感情があるのかということ。僕は2つあると思う。
一つは、人に対して感謝の気持ちをもつ為。①の最後でも挙げたように感謝の気持ちに気付かせてくれるのは寂しさがあるからだと思う。
人は現状に感謝せず、当たり前と思いがちになる。特に人への感謝は、意識していないとせっかくやってくれていることをも当然のように考えてしまう。無いも のねだりの我儘な人間になってしまう。だからこそ、寂しさというものを抱えることで、そんな時に人がしてくれたことに暖かさを感じ感謝をするようにできて いるのだと思う。

もう一つ、それは成長する為だと思う。
寂しさは誰が癒してくれる?家族?友人?恋人?・・・どれも違うよね。
寂しさとうまく付き合うために必要なことは、自分で心に火を灯すということ。
確かに人と触れ合うことで寂しさは癒される。でも、それは一時的なものでしかない、ただの気休め。
寂しいが故に群れる友人同士、寂しいが故に寄り添う恋人同士というのは、互いに寂しさから逃避しているだけで、逃避するという絆で結ばれているだけで、そういった関係が2人を幸福にすることはない。
また、友人同士でも恋人同士でも一方が相手に寂しさを埋めて欲しいが故に一緒にいるのであれば、それは相手にとって迷惑な話。
寂しさから逃れようとしてできる人間関係は人の成長を妨げるばかりか、不幸な結果を生むことになる。

寂しさは、寂しさ向き合うことで、自分自身の問題だと自覚しなければいけない。だからまずは徹底的に寂しさと向き合って欲しい。適当に人と群れて誤魔化すようなことはしないで欲しい。
そしてそれを克服する為には、自分で自分の心に明かりを灯すことしなければいけない。そしてそれが人を成長させる。

それが寂しさという感情がある意味なのだと思う。

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