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2010年5月

2010年5月30日 (日)

ロハスなブックカバーです・・・きっとナガオカケンメイも納得?

最近作ったものです。

まずはなんだかお決まりになりつつある名刺入れ。

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そして文庫本のカバーを2点。
全部革も良いけれど素材を組み合わせてみた。

1つ目は、紺のドットの生地を切りっ放しに裁ちました。
裏はちゃんと合皮が張り合わせてあるのでしっかりしています。

2つ目は、使いようのないハギレをパズルのように張り合わせて、ふと思いついたのが紙との組み合わせ。無印の紙袋に合皮で裏貼りして、撥水をかねてオイルを染み込ませてあります。

ナガオカケンメイさんのD&Departmentが既存の使い古しの(百貨店などの)紙袋にお店のシールを貼って再利用していますが、そんな感じでしょうか。

読書好きの皆様、連絡いただければ作りますよ。
シャネルでもマクドナルドでも虎屋でも紀伊国屋でもKALDIでも・・・おもしろそう。

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2010年5月25日 (火)

財布ふうから、何とか財布へ

財布に似たもの⇒かろうじて財布へと進化しました。
まだ財布は3個目ですがね・・・まだまだ険しい、頑張らねば。

早く凛とした財布が作れるように・・・。
明日から試しに使ってみよう。

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中身はよくあるタイプの仕切り方。

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実は裏コンセプトがあって、もしもディーター・ラムスが二つ折り財布をデザインしたら
でしたが・・・ウ~ム。

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2010年5月23日 (日)

悲観が彼岸では、ひがみしか生まれない・・・幸福について批判的なぼやき

何が幸せなのかと考えた時、その現実として経済について避けて通れないと思う。だからここ数年経済についての関心が強くなっている。ただ知れば知るほど思うことは、根本を問い直さなければならないということ。というか、世の中は根本を問うことを避けている・・・むしろ目を向けさせないようにしている。
知らせたくないことは知らせない記者クラブ、お金をもらって偏った意見を述べる政治や経済のコメンテーター、意味の無い街頭インタビューやグラフをで編集されたテレビ番組・・・。残念ながら中国や北朝鮮は馬鹿にしながら日本のマスメディアを信用している人が大多数。テレビを見て政治通を気取る人、鳩山首相をダメ呼ばわりする人、社民党を指して大人な事情なんだから黙ってろみたいに言う人、いまになっても小泉元首相を讃える人。
世間話から政治の話になると、お前は民主党派だなと(人によってはまるでジャイアンツファンだねみたいに)言われるけれど、そうではなくて今の政党で政治家で誰が真剣に取り組んでいるか、ただそれだけ。

僕は政治や経済のことについてブログでは少ししか書かなかった。それはその分野にすごく通じているわけではないし、だからどれくらいバランスを持った考えである全然自信がないからだ。
そしてもうひとつ、政治や経済の事実を知れば知るほど、暗く厳しい現実があり、あまりにも無力に思えてくるから。
社会学者バウマンの本を読んでいたら、現代社会は幸せになれるかもしれないと思えている間が幸せ、夢を追えている間が幸せ、と書いてあった。これはかなりキレる指摘だと思った。今はまだかろうじて物が買えている、地デジにハイブリッドや電気自動車に、iPadに、ロハスに・・・そんな夢を見ていられる。今の日本でこれ以上貧困化が進み、ものが買えなくなったとき、どれだけの人が幸せを感じなくなってしまうのだろう。わが自殺大国、自ら命を絶つ人は経済的な理由が一番なのだから・・・。
もちろんモノだけではない。気持ちの問題でもそうだ、夢を実現した人がスゴイ人のような幸福の像は誰もが持っているかもしれない、でもそれは空虚でしかない。何にせよ、幸せであるためにしがみついて生きていかなければならない。幸せであるために、幸せに追われる生き方。
GWは家にいることが多かったので、いつもよりテレビを見て思ったことがある。これはたまたまなのか、僕の主観的なもので気のせいかもしれないけど、芸能人の苦労話、挫折を克服した話がいくつかの番組で見かけた。もしこういったプログラムが増えたのだとすれば、かなり良くない。不安を煽って視聴率をあげるなんてことよりも良くない。挫折克服を芸能人のような成功者(少なくとも番組内では)が話すということは、視聴者に希望をもたらすという意味では否定しないし、実際再起のきっかけを掴む人も僅かにはいると思う。でも安易にこういった番組を増やすことで、苦労に耐えるということが刷り込まれる・・・現代版の欲しがりません勝までは。日本人は真面目で、耐えるということに美徳を持つくらいだから、その影響はなおさらだ。今は空虚な幸福で視聴率をとる為かもしれないけど、今後貧困化が進めば政策的にこの手の番組は増えるだろう。

自由と不自由どっちがいいの?自由でしょ?じゃあ、自由な仕組みにするからついてきなさい。
皆の気持ちはモヤモヤしている。けど、どんな自由なの?とは質問させてもらえない。
ケインズ主義かマネタリズムかしか選択肢を示さない。
資本主義と民主主義に勝るものは無いんだ、世界は成長し続けるんだ、われわれ人類はこれからもやり遂げるんだ
そんな空気をいつまで漂わせるのか、成長ってなんなのか。
今は経済を中心に政治や社会が語られる、でもそもそも経済はより良い社会への手段であった。なのに今はその手段が目的となってしまった。
理性は間違う、それをわかっているようでわかっていない。経済学は予測にしか過ぎないから間違うことはわかっている、けれどその法則には従わなければならないような、どこか気持ちの悪い怪物だ。疑うということは気持ちのよいものではないし疲れる。でもそれは何故か、何なのかと厳しい視線が今は必要になってしまった。
バウマンの言うように今の社会は幸福を求める故に、実は幸福に追い回されている。だからまずは知らぬふりをやめ、悲観的なことも全て受け止め、その上で今をどれだけ懸命に生きられるか、それしかないと思う。

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2010年5月20日 (木)

最近作ったものです・・・その2、アヴァンギャルドな名刺入れ

また名刺入れです。女性向けをと考えていたら、
朱の地に金の箔を貼った革を見つけたので作ってみました。

表はどちらも同じで黒、
内側のデザインを変えてみました。

表は抑えて、中は派手。"いき"といえるかわかりませんが。
遊び心があってもいいかもと・・・。


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最近作ったものです・・・その1、ケータイケースと名刺入れ

一つ目は先日のケータイケースのアレンジ版、前よりこなれたと思う。

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続いて名刺入れ、ちょっと作り方を変えてみました。

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2010年5月16日 (日)

電子書籍の期待と危惧…iPadは何を超えて、何処へ向う?

電子書籍については興味が湧かない。もしiPadを買ったとしても、本は本で携帯すると思う。電子書籍として、持ちたいものは辞書や辞典や年表の類かな・・・iPhoneのものは使いやすいとは言い難いので。

音楽と本で大きく異なるのは、音楽は別のことをしながら聞くことが多いつまりサブの行動なのに対して、本の場合は本を読むことがメインとなる。だから音楽はできるだけ大量に持ち歩いて気分や行動にあわせて選曲したいという欲求が多くなる。本の場合は一冊に向き合って読む・・・一部の読書好きは複数を並行して読んだりもするけど。
だから音楽ほどには電子化は進まないと思っている。

では電子書籍に移行するかしないかは、またどんな本を紙でどんな本をデジタルで読むかを考えてみる。

①.物理的な境界
紙の本は重さと大きさがある。だから内容の価値と重さや大きさの物理的負担を天秤にかけて電子か紙かを選択するだろう。あとは仕事や研究でデータが豊富な書籍を大量に持ち歩きたい人はいるかもしれない。
だから書籍購入者には無料で若しくは割り安で電子書籍をプレゼントするという売り方は出てくるだろう。
もう一つ、端末が機能の複合体という面もある。AmazonのKindleは電子書籍機能のみだけど、iPadはノートパソコンのようにも使える。そう考えると、文庫本ならまだしも、単行本は持ちたくなくなるかもしれない。

②.身体的な境界
高齢者や視力にハンディのある人には文字の大きさを変えられる電子書籍はかなりメリットがある。また、①とも重なるけど高齢者や女性は重い本は辛いので電子書籍は歓迎されるだろう。

③.価格の境界
電子書籍は紙媒体より安い価格でダウンロードできる。また、青空文庫のような著作権切れで無料公開されたコンテンツも読める。Amazonは規定内の価格(紙媒体の半額以下とか・・・)で著者と合意した場合は、印税を70%にするといっていて、出版社を排除しようとしている。ブックオフは打撃を受けるかもしれない。

④.内容や密度の境界
しっかり内容の本をしっかりと読む人は紙媒体からなかなか離れないと思う。それは冒頭に書いたように一冊だけもっていればよいから。僕のように線を引きながら読む人はなおさら。逆に(失礼な言い方だけど、)密度のない本を好む人は、①や②と併せて電子書籍を選ぶだろう。例えば、1000~1500円で販売されているソフトカバーのお気軽ビジネス書の類が好きな人とか。字や行間が大きくて、普通に読んでも1時間もかからない、ハウツーや変な自己啓発本とか。
電子書籍は、こういった人を対象にした、質の悪いコンテンツを更に生み出すきっかけにもなる。iPadなどの端末で更に読みやすいように、10分で読める・・・みたいなものとか。それによって情報に振り回されたり、問いを持たず、簡単に答えを求める、メディアリテラシーの低い人が増えるのではないかと・・・不安もある。

⑤.新規メディアのコンテンツ
アマもプロも個人、フリーのジャーナリスト、NPO、教育機関・・・など等がネットでPodcastやUstreamの無料/有料の配信が当たり前のようになってきた。雑誌、新聞、広報誌など文字情報でしっかり読み込んで欲しいコンテンツに関しては、ネットの表示では見難いのでデジタル配信が拡がる。マスメディアの偏向に対して、正しい情報が拡がる可能性が新たに誕生するのは大歓迎。④と⑤は諸刃の剣だ。

⑥.電子書籍が電子書籍となった時

この言い方は、あいまいでわかりにくいかもしれないけど、電子書籍にあわせたコンテンツが登場するだろう。④の場合は電子書籍によって危惧されることであるのに対して、⑥は⑤と共に期待すること。
ベンヤミンが写真が写真としての進化を遂げる過程を示したようなことが起きると思う(※)。今の電子書籍は紙媒体の本の形式から離れてはいないけど、徐々に電子書籍の特性を活かしたものが出てくる。すでにFLASHを組み込んだ動きのあるようなものも出てきているようなので、いったいどんなものが出てくるか楽しみ。
例えば、ファミコンでドラクエなんかが流行り始めたころ、ゲームブックというかRPGを本で表現したものがあったけど、選択によって何通りにも読める小説なんかどうだろう。女性は想像力があるから、ハーレクイーンみたいな恋愛ものにインタラクティブな要素が加われば、ゲームでイケメン男子のキャラが具象化されているよりロマンティックかも・・・。

※・・・写真の始まりはとても絵画的なものでしかなかった。絵画やポートレートの代用として始まり、わざわざ絵画のように抽象的にぼやかす処理がされた。写真の特色は現実のリアリティをそのまま切り取れるということであり、徐々にその特性を活かした写真、例えばジャーナリズムの写真などが登場した。ベンヤミン『写真小史氏』(ちくま学芸文庫)


さてどうなるんでしょうね。ではまた。。。

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2010年5月13日 (木)

POST FOSSIL 展

21_21 design sightにて開催中の『POST FOSSIL(ポストフォッシル)』展に行ってきました。
Li Edelkoortさんがディレクターをされてます。

Li Edelkoortさんはトレンド予測の第一人者だそうで、彼女の会社トレンドユニオンでは未来予想をしているらしい。

次なるデザインを模索する試みのこの展覧会、そんなふれこみだけを頭に入れて向った会場には面食らった。
そこには最先端、ファッション、洗練といった印象は皆無。いわゆるデザインという言葉から想起される、直線や平面、美しい曲面、繊細さ、均質さといったものはない。広がるのは歪み、荒々しさ、いびつ、凸凹、不安定、不気味さの世界。
量産品と真逆の、そしてアートとも違う、手垢にまみれた創造があった。

これらの展示物は、今の東京には異様なものとして映るかもしれないけれど、10年、20年後が暗示されているように思えた。自然や生命を意識したものが多かったり、人工的に美しく成形されたものはあまり無い。人の手でベタベタと生み出したフォルム。

これから世界はより均一に、更に格差は拡がる。なかなか見通しは良くないけれど、ものの創造という観点でいえば、今回の展示の発するトレンドはもしやありえるかもしれないと思った。
これから先、サイエンスやテクノロジーは驚くべき進歩を遂げると思う。その一方で、衣食住については個人的な生産へ向うんじゃないかと思う。古きよき時代に戻っていくということではない、それは残念ながら減り続けていくであろう収入との兼ね合いからそうせざるを得ない世の中になるということ。
その時、再び生活の身近部分で楽しむ流れになっていく。

20世紀のデザインはモダンがキーワードだった。モダンを超えようとする流れもあったけれど、結局モダンという軸から離れられなかった。言ってしまえばモダンというのは理性のデザインなんだと思う。
21世紀は理性や言葉を超えた、感覚やありのままを受け入れるという人間の生命に近い部分で進む、そう思う。

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2010年5月 9日 (日)

携帯ケースです。100人を目指します。

かなり厚手の革で携帯ケースを作りました。だいぶ前から頼まれていたものです。
遅くなってごめんなさい。

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連休中に考えました。
革でのものづくりについて具体的な目標を持たねばと。

決めたのは、「100人に僕の作った物を持ってもらおう」・・・です。

作りながら見えてくるでしょう。

ちなみにこの携帯ケースでまだ6人目。

始まったばかり・・・遠い。

100人目の頃には何か見えているでしょう。

やたら期待せず、やたら希望をもたず。

頑張ります。

 

黒白な うつろう道を行け くてくてと 

それこそ我が 生けるあかしぞ 

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2010年5月 5日 (水)

財布ふう~・・・で

財布と格闘中、とりあえず2つ目を完成させる・・・無理やり。

が・・・。とりあえず完成、なおでとりあえずの写真。

これを財布といったら、財布にしかられる。財布風モノ入れって・・・ことに。

財布が大変なのは部品点数が多いことと、革同士が重なる部分を如何にスマートに処理するか。

名刺入れとわけが違う。

・・・型紙修正もチマチマと。・・・肥やし肥やし。

革製品を手にとって、奥の奥、際の際を覗き込んでいる人がいたら、僕かもしれません。

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2010年5月 1日 (土)

色々ウツろう言葉咲くイメージ

 もう旬は過ぎてしまったけど、春になると桜の物が色々と出てくる。 桜餅も好きだし、今年ハマったものはスターバックスの期間限定の桜クリームフラペチーノ。桜のかほる食べ物はなんともホッと咲かせてくれる、否、させてくれる。
 先日行った、"はるは"さんのイベントでも桜というのが一つのモチーフになっていた。

桜色は美しい、あの白色に限りなく微かに生命が宿ったような色相がなんともいえない。桜色といえば、桜鼠という名の色があることを知って、それはまるでロミオなジュリエット色というか豚な真珠色のような気がする。最近は鼠色という呼び方はとダサい?イケてない?のか灰色とも言うけどもっぱらグレーという。 たしかにミッキーマウスは例外として鼠はあまりイメージが良くない。鼠がつく言葉はイメージが良くないものばかり、ねずみ講、ドブネズミ、そして鼠小僧に鼠男、大体そんなところだろう。 でもこの鼠色、日本の色としてはまずまずな位置を占めているようなのです、むしろ"いき"な色らしい。桜鼠、藤鼠、梅鼠、利休鼠、鳩羽鼠・・・。鼠色は江戸時代になってからできたもので、先にいくつか挙げたような鼠色の変相色は江戸の中期あたりに出てきて、明治あたりまで"いき"な色として好まれたようだ。 他に色の名称にでてくる生物の名前は狐、鳶、海老、鳥の子、雀、鶯、虫、鳩・・・実は溝鼠(どぶねずみ)という色もある。その名は今ひとつではあるけれど、日本人の感性には鼠が一番合っているかもしれない。その鼠によって鈍く霞んだ色は、明かりと影の間のうつろいの一瞬を切り取ったようなものだ。すると桜も鼠も儚き一瞬という意味では繋がっている。        

   白波の立ち寄りて折る桜花 (弁内侍)

   散らしかけて逃ぐべかりける (二条為氏)

弁内侍は女流歌人、二条為氏は貴族の歌人。 時は鎌倉時代、御嵯峨院が御幸(外出)する時のこと、御車と入れ替わるように為氏が御供に参った。 ちょうど桜が咲いていて、為氏が桜を折った。それを御嵯峨院が見ていて、お車に同乗させていた弁内侍に、為氏に連歌を仕掛けるよう命じた。 それが上記の句。 白波とは、白波五人男という盗賊のこと、歌舞伎では石川五右衛門や鼠小僧とともに三大悪党の一組。 為氏は白波と桜に散らしかけてと返したわけです。 詩や俳句でさえ、大したことも知らないのだけど、連歌はおもしろい。 何が面白いかって、他者との共作であることと、そのことで先の読めない意外性がある。それ故に、詩や短歌と異なりイメージが移ろうようなものがある。 前の人がどんな句を読むかわからない中で、連歌師は高度に言葉を紡ぐ。 落語や桑田圭祐の歌詞もすごいけど、それもこれも日本の文化史に連歌のような遺伝子があればこそ。 連歌は和歌の五・七・五・七・七を 五・七・五の上句と七・七の下句に分け、それを順番に詠む。 (五・七・五)+(七・七)に分けて二人で詠む短連歌や、 (五・七・五)+(七・七)+(五・七・五)+(七・七)+(五・七・五)+(七・七)+・・・ と50や100と続ける長連歌がある。中世に流行り江戸時代あたりまでは続いたようなのだけど、今では幻の文芸になってしまった。
連歌は二人以上で行われる、であればこそ、起きる予期せぬものがある。 ある宗匠が発句(最初の句)をこう詠んだ。

  新しく作りたてたる薬師寺かな

天才連歌師宗祗が付句にてこう応じた。

  物光る露の白玉

宗匠は宗祇に言う、「文字が二つ不足している」と 実は、こういうことになっていた。

  新しく作りたてたる薬師寺 "かな"物(=金物)光る露の白玉

宗祇は、あなたの字あまりを私が直して差し上げました、そんな感じなわけで。 長連歌になると、 長い故にルールやテーマを課して会を催すこともあった。 始めの文字を、イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・・・の順で使用しなければならないとか、句のどこかに万葉集の歌人の名を入れ込まねばならないとか。 そんな縛りの中で言葉とイメージがゆらりと変化していくのが連歌のすごさ。 まだまだ全然わからない世界なので良い句を沢山紹介できないのは残念。

 言葉の組み合わせが生み出すものも素晴らしいけど、一つの言葉について踏み込んでみると、今に至るまでに変化したもの、削がれたものがあらわれ、そこには時間や奥行きがあることを知る。
長連歌の最初の句を発句と言うことは先に書いた通り。 一方、最後の句は、挙句という。そう、挙句の果てのアゲク。
桜はサ・クラでサは神をのことで、クラは蔵。春という季節は、山から神が下りてきて、一度桜で安息し、夏から秋にかけて平野を駆け巡り実りをもたらす。桜はそんな樹なのである。
言葉はその文字という表象があって、意味がある。その表象と意味は必ずやセットではなく、互いにスライドしながらズレを起こしながら、時には離れ、あわさる。 だからオモシロイ。
そうこのオモシロイ・・・漢字で書けば面白い。漢字の通り、目の前が真っ白になっている事をさしました。例えば、陽が燦々と注ぐような状況であったり、滝つぼ一面に舞い上がるしぶきや、雪景色。
いまでも言葉をすぐに略すけど、鮨を「す文字」のように言う習慣があった、食べ物が無くて空腹に耐えることを「ひもじい」というが、これは「空腹で"ひだるい"」というときの「ひだるい」の頭文字を取って「ひ文字」といったところから「ひもじい」が一般化した。
女性が変えた言葉もある。おいしいは元々"いしい"であったところを、女性が丁寧に「"お"いしい」としたところ、それが一般的になったもの。また、「○○です。」といつも使っている、この「です」は最初遊女がつかっていて、それが山の手の富裕層に広がり一般化していった。
文化や風習を垣間見ることもできる。 祝うとは、そもそも斎う(いわう)つまり祈ることだった。重大な出来事の時は祈る。この祈る時の中で良い出来事についてだけが残り、今の祝うと同じになった。
サチという言葉、幸つまり幸福の意で使われたり、海の幸、山の幸とうように食物の意味でも用いられる。確かに、食物があれば幸せなのだからその語源が同じというのは納得。ではそもそもサチは何かといえば矢尻をさしていた。そう狩猟の時の矢尻である。この矢尻が食物と幸せを運んでくれということ
オトウト、イモウトも面白い。その昔、奈良平安よりも前のこと、男女共に同性の自分より上の下の兄弟をエ、下の兄弟をオトといった。つまりエには上とか優れたという意味があり、オトは劣るの語源で下という意味もあった。一方、男が女の兄弟(つまり姉妹)を呼ぶ時「イモ」といい、女が男兄弟を呼ぶ時には「セ」といった。更にいえば、男が恋人や結婚相手を呼ぶ時も「イモ」といい、女が恋人や夫を呼ぶ時も「セ」といった。わかりにくいかもしれないけど簡単なこと、要するに奈良時代より前までは近親婚が当然のように行われていたということ。妹という漢字の音読みはセとイモでその名残がある。
日本語には緊張感があって、ある一線を越えると、意味が全く逆になることがある。 御前→オマエ! 貴様→キサマ! 極めつけは、 あはれ→アッパレ 天晴れだけが一人歩きをしてしまっているけれど、これはとても儚い言葉だ。武士が華々しさを極めた戦国の世。勝てば栄誉、負ければ哀れな死があり、武士は常にその境に立っている。天晴れとは哀れ表裏をなす、そんな武士を讃える言葉のなのだ。

桜の美しさ、それはまさに天晴れというにふさわしい。 言葉のことまだまだ知りたいこと、書きたいことがある。どのうち続編を・・・。

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