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2010年7月27日 (火)

佐藤雅彦ディレクション「“これも自分と 認めざるをえない”展」 その1

21_21 design sightで始まった佐藤雅彦ディレクション「“これも自分と
認めざるをえない”展」ならびにそのオープニングトークに行ってきまし
た。

● 人は意外と自分に「無頓着」?

佐藤さんの話は「属性」をテーマに行われました。
いくつか興味深いことはあったのですが、その中の一番心の残ったことを
書きます。
それは、『人は意外と自分に「無頓着」である』ということ

魚や四足歩行の動物は、自分が存在することは知っているけど、自分の姿
を知らない。自分の群れ他の生き物を見ることが、己へとつながってい
く。
動詞で考えると、自動詞しかない・・・「歩く、泳ぐ、食べる」。

一方、人間やチンパンジーは二足歩行で手を自由に操る。視界に入る自分
の手の動きを通して自己の姿や存在を認識する。
動詞で考えると、他動詞もありえる・・・「食べさせる、殴る、運ぶ」。

鏡を鏡と認識できるのも手を操れる人間やチンパンジーなんだそう
で・・・
この展示のインスタレーションで自分の写らない鏡がある。
でもその状況を読み取りながらも、その鏡の前に立っても違和感をあまり
感じない。

これは魚や四足歩行の哺乳類からのDNAなのであろうか。
人は、自分の姿を見ることより、人を見て自分の存在を確認しているということなのかもしれない。
つまりは、自分の存在を確認するきっかけは常に他者にあるということな
のだろうか。
たぶん他者を見て、自分との違いを認識して初めて自分の存在を知
る、アイデンティティを認識しているのかもしれない。

(続)その2へ

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