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2010年7月10日 (土)

「能の雅(エレガンス) 狂言の妙 (エスプリ)」展 ・・・もうNO!なんて言わない

原研哉さんも、深澤直人さんも、有名なデザイナー方々は日本の文化に詳しいですよね。
僕の好きな建築家・村野藤吾も和風をやったら最高だった・・・しかも創造的に進化をさせて。
若い頃は、西洋にカブレまくっていたけれど、年をとるにつれ、日本のことが知りたくなってきます。
というよりもこの避けられないグローバリゼーションの波動の中で、日本人というアイデンティティをどれだけもてているのかという不安さえ覚える。
まだまだ僕が知らない、そして知りたい日本の文化、その一つが能です。

ということで、サントリー美術館で開催中の「能の雅(エレガンス) 狂言の妙 (エスプリ)」展を見てきました。

能や狂言は興味は有りつつも、食わず嫌いでした。
僕のレベルとしては、NHKでたまにやってる能?狂言?(・・・判別すらできない)をしばらく眺めるも、意味不明で挫折。
といった程度。

今日解かった知識としてはこんな感じです・・・・
能も狂言の起源は、奈良時代に中国から伝わった散楽(さんがく) と、
豊作を祈る民俗芸能の田楽(でんがく)や、
物まねをする猿楽(猿楽)などが混ざり合って生まれたそうです。
その後、能は上流階級の娯楽として、狂言は庶民の娯楽として分かれていったと。
内容は能は悲観的なものが多く、狂言には笑いがある。

あとはよくわからないので、感じてきました。
能の装束は絢爛豪華、一方狂言のそれは質素。
能の羽織の模様は殆んど刺繍(・・・気の遠くなるようなスゴイ刺繍)だったり、
金の箔を貼っいたりまさに雅。
一方狂言の羽織の柄は庶民的な染めで、派手さもない。

面白かったのが、能の小道具。
和太鼓を載せる台や、車輪のついたリアカーみたいなものがあるのだけど、
竹細工みたいなもので輪郭だけを作ってある・・・。
つまりは、後ろが透け透け。
・・・今はもちろん使い回しだけど、その昔は毎回作っていたそうです。

道具や装置が少ないし、それらも仮設のようなものばかり。
あとは動きや仕草で表現するということのようです。
きっと場所を転々を移動していた名残が、そのまま形式となったんでしょうね。
でもこんな仮設のまま形式にしてしまうのって、どこか日本的な方法のように思えます。
西洋と違って威風堂々でなく、未来永劫といった感じではなく
どこか不安定で、アウトサイダーな感じが気になる。

最近は松岡正剛の弱さの考えや、網野善彦が描く日の当たらなかった歴史が気に入っているだけに
余計にそう思う

日本の芸能って、落語なんかもそうですが、少しの小道具だけで、色々なものを表現する。
前提を共有しているからこそなわけで、逆に言えばちょっと敷居が高いかな。
予備知識をもって能や狂言を観たらきっと奥深いんだろうなぁ。。。

少しずつ勉強してみよ。。。

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コメント

お能も狂言も実際に見ると引き込まれますよ。TVで見るのとは大違いです。私はTVで見てると寝ちゃいます…

落語は大好きです。昔の録音を聴くと、まるでJAZZを聴いているような。
で、心地よくて、やっぱり寝ちゃったりします。

投稿: green | 2010年7月13日 (火) 08時20分

greenさんコメントありがとう。

実際に見られたんですね~・・・スゴイ

やっぱ実際に見なきゃいけませんね。。。
わかりやすい入門者向けのDVDとかないかなぁ・・・なんて考えてました。。。

言葉とかわかるのかなぁ

落語も聴かれるなんて、なんとも素敵なご趣味ですね・・・今度挑戦してみようかな

投稿: martin | 2010年7月13日 (火) 22時46分

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