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2010年9月19日 (日)

【book martin 41928】 002 立川武蔵『日本仏教の思想』

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これは書評ではなくて、僕martin(マルタン)が知りたいことの周辺を彷徨うようなもので、自分なりに要約したり時には付け加えたりしながら連想ゲームのように思い浮かぶことをツラツラと書いている。

なぜ仏教について知りたいのか。まず一つは、日本で生まれたものとして、日本の本質を捉えたいというから。本質とは何かといえばキワ(際)に見られるようなことで、境界に入り込むことだと思う。だから前回の「空の思想史」でも、今回取り上げた「日本仏教の思想」でも、日本に伝わったときに何が切り離され、何が付け足されたか或いは何かと融合したか。また飛鳥・奈良・平安・鎌倉・・・とどのように代わっていったかに興味がある。そこには松岡正剛さんのいう【日本という方法】があるはずだから。本来この作業には、中国やインドの仏教であったり、特に中国での仏教から何が抽出されたのか中国での空つまり無や、華厳思想、儒教などとも比較しなければならない。
2つ目、いよいよ行き詰ってきた西洋の論理的なものと違った思想について知りたいということ。今の経済、特に大資本を中心としたグローバル・スタンダードに基づいた論理的、合理的、功利的な社会から脱出する方法、そのヒントを掴み取りたい。
そして3つ目、祖母が宗教者であったこと。僕は彼女の活動に馴染めなかった…ついに昨年他界(成仏?)した。祖母と孫という関係で沢山の愛情をもらったからか、自分なりに仏教を理解したいと思う。実践無き仏教はどう頑張っても半分にもならなけども。彼女が時に厳しくときに優しく説法をし、お経をあげ、物凄い気迫で魂の力を振り絞るような加持や祈祷をしているのを目の当たりにしていた。
実際僕も小さな頃、たくさんお経を読まされた。集団であげるお経は不思議な雰囲気が漂う。どこの誰それさんが大手術をするとなれば、陀羅尼というお経を永遠と猛スピードであげる。僕は嫌々接していたものだから宗教の実践的な体験というものは殆んどない。けれど、お経をあげているときに何とも気持ちが落ち着く感覚はあった。
僕はその中に入りたくなかった、今でもそう思う。けれど、祖母が半生のすべてを捧げた仏教とは何かと思う。

さて立川武蔵著「日本仏教の思想」に話を移そう。
今世界の成長が止まりかけて、改めて自然と再び共生していこうという流れが生まれてきた。でもそもそも日本はアニミズム(自然崇拝)の土壌があった国だ。明治以降の欧米化に伴って西洋の論理ばかりを信奉し、あまりにラディカルな方法ばかりとってきた。気付けば足元はどろどろで、どうやって立ち上がればいいのだろう。「ハンバーガーのサイドメニュー」化、「まわるテーブルにのる」化、梅干おにぎりからやり直すのか。
この本はもちろん日本に仏教が伝来したところから始まる。その時に日本(日本は存在していないので正確にはヤマトか)のベースとして受け皿としてあったアニミズム。アニミズムというベース(OS)があって、その上に仏教というソフトがのっかった。

立川さんは日本仏教のキーワードとして以下の4つをあげている。
1). 諸法 
2). 空(空性) 
3). 実相 
4). 仏性
諸法は、今僕らが生きているこの世界のこと。空と実相はセットで空は徹底的な否定のあとに現れる真理であり、実相はこの世のありさまが真理を表わしていると肯定する側。最後の仏性は、生きるものすべてに潜在的に備わっている仏になる可能性のことである。
この4つのキーが、アニミズムをベースにのっかって日本の仏教の特徴となる。

日本に仏教が伝来したのは西暦538年と言われている。その後6世紀末までにかなり大きな勢力となる。飛鳥時代に重要な役割を果たしたのが聖徳太子(574-622)。彼は高句麗の僧慧慈より学んで、中国僧の使用する仏典を理解するまでになっていた。太子は606年に推古天皇に「勝鬘経(しょうまんぎょう)」と「法華経」を講じたという記録があり、この「勝鬘経」は如来蔵思想の経典として知られている。如来蔵思想とは先の4つのキーワードの一つ「仏性」を人が本来備えているものだとする。この如来蔵思想が日本仏教の特徴として通底し、後々この問題について道元が思索している。

今年、平城京遷都1300周年で話題となっている奈良。710年の遷都以降の長岡京に都を移す784年までの奈良時代は、国家の統制のもと南都六宗が発展した。南都六宗とは三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、律宗、華厳宗で、これらが独立していたというよりそれぞれが科目のようであった。律宗は規律のようなもので、三論宗(中観)、法相宗(唯識)がインドの大乗の2教、成実宗(経量)と倶舎宗(有部)が小乗の2教で奈良時代にはインド仏教の4教がすべて日本に来ていた。華厳宗は中国を代表する教学で、否定が強かったインド仏教に対して肯定する面が強い。また聖武天皇はこの華厳の教えには全てのものを一つにする傾向があったため、政治的にも利用をしている。
インド仏教とチベット仏教は否定面が強く、中国と日本では肯定の面が強い。日本にはアニミズムがあって自然から与えられるものが多いからこそ肯定が強い。でも中国はもう少し違う意味で肯定側にいて、それは今の中国人もそうだけどモノへの執着がある。なぜそうなのか、これはまた儒教なども含めて手をつけてみたいと思う。

この本の構成としても、平安と鎌倉の仏教にページが割かれてることから日本の仏教史をみる時に重要なのはその時代ということのようだ。
平安仏教は二人の巨人、空海(774-835)と最澄(767-822)の時代である。僕自身空海についてはちゃんと知りたいなと思いながら、そのままでいる。空海について言えばまず密教という響きがいい。いつの時代でも、アウトサイダーで時代の先を見ているような人には憧れる。その空海は中国で密教を学び帰国する。インドでの密教はヒンドゥ-やスラムがの勢力が脅かされるようになった後発展したようで、彼が会得したものインドの初期の密教であった。密教といえば曼荼羅というように、自然や宇宙までを一体として捉える世界観をもっている。空海の思想に「即身成仏」というものがある。だいたい日本の仏教は如来蔵思想があって、人は本来仏性を備えていて修行することで煩悩を取り除き、それを何度も生まれ変わりながら仏になることができると考える。しかし、空海の即身成仏は生きているままで成仏できると主張した。こんな論理、業に励んでいる僧にしてみればタマッタモンジャナイ。これは勝手な僕の推測だけど、この思想は地から這い上がっていくアウトサイダーにして哲人となった空海だからこそいえたのだと思う。自らをなぞらえ仏となることが宇宙の果てのようなことではないと考えたに違いない。密教といえば空海の存在から日本仏教史に確固たる地位をもつのだけれど、その後はあまり発展しなかった。中国でも11世紀には消滅したらしい。
一方の最澄は泥臭い修行をつんできた空海と対照的にエリートだった。彼は学者の海外視察のような待遇で中国に行き、天台宗とわずかながら密教にも触れて帰国する。天台宗は中国仏教において先に挙げた華厳教とともに二大勢力だった。天台宗を拡大した実質的な開祖は天台大師智顗(ちぎ・538-597)で彼は龍樹の「中論」と法華経などをベースに論理を組み上げていく。最澄が日本の仏教に根付かせたのが「諸法実相論」という現世を肯定する思想、つまり現実のあるがままが本質を表わしているということ。この思想に至ったのには、もちろん日本土着のアニミズムを取り込んだのだろうし、密教に触れたことが関係するように思えるけれど次回以降のbook martinの課題。
天台宗はその後も弟子達によって受け継がれ、鎌倉仏教の礎となった。臨済宗の栄西、時宗の一遍、日蓮などみな天台宗を学んでいる。

鎌倉仏教になると仏教は大衆へと向っていく。これまでは僧のみ求めることができた現世利益、超自然的な力、悟りといった「財」を民衆も求めるができるようになる
鎌倉仏教のの要点は下記の五点だそうだ。

1.旧仏教の復興運動
2.法然、親鸞の専修念仏
3.栄西、道元の禅
4.日蓮の法華信仰
5.一遍の念仏

復興運動は末法思想が拡がる中で、戒律の重要性を訴える動き。
専修念仏の流行、この本では凝縮して触れられているので、一番印象に残った部分しか言えないのだけれど、僕はずっと疑問だった、法然、親鸞はなぜ「南無阿弥陀仏」と唱えればよいと説いた。どうしてそこまで形骸化してしまったのかと思っていたけれど、いや結局形骸化を招いてしまったのだろうけど法然にはしかるべき考えがあった。大勢へのへの叛逆者法然はこう考えた、いくら厳しい業を行ったとしても、その業が仏になる為と意識してのことであれば、それは煩悩であるため成仏は適わない。だから頭を空っぽにして、ただひたすら念仏を唱えよ言うわけだ。これはカントの定言命法と仮言命法が連想される。最近NHKの番組で話題となり、30万部のベストセラーとなっているマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』でも取り上げられていた。仮言命法とは「○○だから△△する。」ということをいう。そして仮言命法によって行われる行為は道徳的でないとされる。わかりやすい例だと、いくら良いことをしてもそこに報酬や見返りを期待する気持ちが少しでもあれば道徳的とは言えない。法然が考えたのは、従来の僧への批判をこめながら、ただひたすらに無欲に「南無阿弥陀仏」と唱えるべきだと民衆に説いた。親鸞も「計らいを捨てよ」と説き、自己や世界への関心を滅して、自己のすべてを捧げて帰依すべきとした。
禅は栄西が確立する。そして気になるのは道元。全ての衆生には仏性が備わっているのになぜ修行すべきなのかということを考える。これは如来蔵思想につきまとう矛盾で、「正法限蔵」にはそういったことなど書かれているらしい。それにしても僕は能や茶など、侘び寂びにつながっていく文化や芸術で重要な禅については全然理解できていないから、何も書く事などできない。あぁ課題は山積みだ。
日蓮についてもざっくりと本を読んだことがある。痛烈な法然批判をするのだけど、法然を知らないのでイマイチことの本質が見えていない。戦後日本の新興宗教といえば日蓮と法華経を扱ったものが多いし、折伏なんてのは強引な勧誘の後ろ盾にもなっていたりするし。
一遍についても特にかけることは無いのだけど、別の印象があって、網野善彦の本に良く出てくる一遍だ。何かというと有名な「一遍上人絵巻」、ここには当時の民衆本来の姿が描かれていて、従来の中世社会の認識を覆す資料なのだ。非人(差別用語として変換しても出てこない)などは、人未満の人という認識かもしれないけど、実は非人にもいろいろあって、人と神との間を行き来する非人など、その役割は様々で網野さんは現在の歴史観の誤りを指摘している。
民衆にむけて開かれていくこと、それは大乗の重要な部分ではあるけれど、やはり俗化は否めない。仏像だって今の平和な日本こそ崇高な大日如来像が好まれるけれど、飛鳥時代に病を治癒する薬師如来像というもの登場し、薬師寺もこの頃建立された。この現世に即効き目のある如来、それはそれは人気があったそうである。寺の伽藍だって飛鳥時代には塔を中心とした崇高さに重きを置かれていたものが、だんだんと正面性が生まれ、平等院鳳凰堂のように正面にいかに極楽を表現するかという参拝者にとってのわかりやすさへ向う変遷を辿る。

室町時代に以降なると、仏教の発展はあまりなくなる。本書でもざっと扱う程度なので、引かれたものを覚書程度に書く。室町時代は、茶や能などの芸術で、また大衆の一揆などの反体後ろ盾としての仏教がある。芸術との絡みはもっともっと追いかけて生きたい。あとは一休さんこと一休宗純、頓知とユーモアなイメージがあるけれど、ずいぶんとウィットにとんだ人物のようだ。
江戸時代になると幕府は仏教の権益を弱体化させる。思想の主流は儒学となっていく。そんな中、良寛についてはぜひ覗いてみたい。

仏教の本を2冊続けた。今回「日本仏教の思想」で、肯定的な日本仏教を概観したのだけど、知れば知るほど知りたくなるところがある。まずは平安仏教から入るべきか。となると空海へ向うことになるけれど、いきなり踏み込む前に、いくつか経由したしたい気もする。
とりあえず次は、松長有慶「密教」を読もうと思う。

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