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2010年10月30日 (土)

【book martin 41928】 003 松長有慶『密教』

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密教について書こうと考えていた。なんとなくどう書き出すかと考えていた。
果てしなく続く宇宙への拡がりと、内へ内へと生々しく迫る深さが渾然とシンクロする密教について・・・とか考えながら
とある日曜日の朝に、テレビつけたら壇ふみ×藤竜也×阿川佐和子で四方山話をしていた。これが結構面白く、ついつい見入ってしまう。
そこで壇ふみがいきなり藤竜也に「押し倒したいですか?押し倒されたいですか?」と切り込んだ。藤は一息分の間をおき「押し倒したいですね」と答えた。二人の奔放な女性主導で流れる、恋愛だの結婚だの家庭だのといった本音トークがリズミカルに交わされていた。

「押し倒したいですか?押し倒されたいですか?」ということを密教なり考えると少しオモシロい。まず、一つわかりやすいことで言えば、仏教では本来淫行を禁止しているのに対し、密教では問題がない。インド後期の密教では修行の一部でさえあったといわれている。密教は肉体へ生命へと迫る論理を超えた思想をもっている。
犯罪的な場合を除けば、押し倒す/押し倒されるという形に自他を完全に区別することはできない。押し倒したい/押し倒されたい、という言葉には既に相手が含まれているし、その場の雰囲気がに押し倒し役/押し倒され役を決めるようなものだったりもする。…となってくれば倒す/倒されるという境は曖昧となり、俺昨日押し倒す(れ)たんだ、みたいな…。
少しふざけ過ぎたけれど、密教は西洋のように二項を区分という考え方はしない。白も黒も元は一つのグラデーションの一部でしかない、そんな一元論なのだ。ただし、西洋の一元論とはだいぶ違うので最後に触れようと思う。

今回は密教の核心には迫らない。いや正直言って迫れない…それは自分がまだまだ勉強不足だから。読書を重ねて、少し違った形で迫っていきたいと思う。なので、本書松長有慶『密教』ではざっと密教の歴史を眺めるのと、密教のイメージについて書こうと思う。

インドで誕生した密教だけど、今現在残っている地域は日本とチベットのみで、発祥の地インドや仏教を発展の地中国では途絶えてしまった。このなぜ途絶えたかポイントになる。
仏教誕生前のインドにはバラモン教とヒンドゥー教があった。バラモンは上層階級にヒンドゥー民衆にそれぞれ信仰されていた。密教も仏教と同じようにこれら土着の宗教を吸収しながら発展していく。これは曼荼羅にヒンドゥーの神々が描かれていることからもよくわかる。インド後期密教になってくるとヒンドゥーの聖典タントラの影響が大きくなりかなり過激な部分を持ち始める。
顕教に対して密教というくらいだから、仏教界のサブカルチャーのようにも思えるけど、実はこちらの方が原始的でシャーマニズムのような呪術的で体験的な部分を担ってきた。担ってきたというのはどういう意味かといえば、論理的な部分と相補する形で密教があったということ。小乗の有部、経量、大乗の唯識、中観という各派が論理的側面で違いを見せながらも密教的な呪術的な部分は同じようなことを行っていたという。
密教は呪術や祭祀儀式の中から徐々に体系化されていく、8世紀に最盛期を迎え、このあたりまでを前期インド密教という9世以降は後期インド密教といわれ、11世紀当たりには消滅する。密教が衰退したのは、後期インド密教のタントラを取り込み過激さ増した為。例えば、女性との淫行、排泄物を食べる、人肉を食べる、殺人、墓場での発展、社会への迷惑行為と聖から俗へどころか族からも背いていった。そして13世紀ごろイスラム教徒の流入により消滅する。

前回(002)で密教がなぜ中国で消滅し、日本には残っているかという疑問が残っていたのだけどそれはこういうことだ。中国での密教は9世紀頃を境として衰退していく。そもそも中国に入ってきた密教はインドのそれと異なっていた。インドから入ってものをそのまま広めるのではなく、中国の僧たちが自国に適合させる、つまり編集したものを流布させていたのだ。けれど、9世紀以降インド後期密教が脱世間色を強めたため、編集作業が追いつかなくなってしまいとても世間に受け入れられるものではなくなってしまった。そのために衰退の一途をたどる。
一方、日本の密教が今日まで長らく生き残っているのは、空海と最澄が持ち帰ったのがインド前期密教だったからだ。空海が恵果に師事したのは中国で密教が最盛期にあったときで、タイミングがちょうど良かった。空海の真言密教を東密といい、最澄の天台の中の密教を台密という。しかしどちらもあまり発展はしなかった。鎌倉仏教はそれぞれに大衆へアプローチしていく為のロジックを生み出していった。念仏しかり、各地の在来神は仮の姿で本性は仏や菩薩であるとする本地垂迹説などもしかり。けれど密教は俗であってはならず、そのためにはその波に乗れなかった。

本場のインド密教の形に近いままで残しているのはチベットだけだ。チベットにはインド後期密教も伝わり、一旦は堕落しかけるも、14世紀頃戒律を厳しくするなどの改革を行い現在に至っている。厳しい戒律を定めたのはゲルッグ派といいこれがダライ・ラマまでつながっている。

インド密教が発展すると共に常識からかけ離れていったのは、生命としての一体感を極める為だった。精神と肉体をから延々とその肉体と情動を感じる宗教としてあり続けたわけだ。仏教を含めて何を学ぶべきかといえば、論理を超えた関係性だと思う。密教は人間と宇宙、ミクロとマクロのコスモスが一体となる思想を持っている。

冒頭で触れたように密教には独自の一元論がある。独自とつけ加えるのはもちろん西洋の完全な中心を据えた一元論に対してのこと。密教が一元論であることは大日如来を中心に据えた金剛界曼荼羅を見てのとおり。でもこの一元論は上手い具合に入れ子状になっている。密教が人体と宇宙の同化を目指すのと同じく、この曼荼羅も人体であり宇宙をあらわす。例えるとこんなイメージかもしれない、新宿駅を颯爽と歩く人々、その一人ひとりが曼荼羅であるということ。なんというか曼荼羅の中心に到達すれば、そこはまた無数の曼荼羅が広がっており、新たな到達を目指すべき曼荼羅の最外辺にいるようなものかもしれない。大乗は利他から自利を目指すものだから、外部を目指すことで自らの真理へ導くと説く、まさにそれを示している。

最後に少し付け加えたい重要なことがある。それは、今ある如来や菩薩は殆んど密教から生まれたものだという事実が示しているのだけれど、そのメタな部分には密教が大きな横たわっていること。現代日本の仏教は鎌倉以降に生まれた日蓮宗、禅集、浄土宗などが主流であるけれど、それらは空海や最澄がもたらした密教を越えて生じえたものであることは忘れられている。
先の如来や菩薩は密教が生んだといったけれど、それは密教には考えや言葉を具現化すべしという理念があるからだ。そんな密教美術はすさまじくパワフルで結構気になっている。派手な色づかいに、激しい表情、目はおどろおどろしく、今にも怒りの言霊が迸る口。そうそう松長さんもロゴスを超えたパトスがあるって言っていた。そろそろ理路整然とした考え方は、時代遅れになってきたと皆が感づいているのだけど、なかなか超えられぬ実情。利益を確保するか故にナッシュに陥った社会は、取り返しのつかないとんでもない痛打によって、利益を手放さざるを得ない事態によってしか、もはや未来は生じえないようにも思える。

何で密教について知りたかったからかといえば、やはり弘法大師へと向う踏み台にしたかったからだ。空海について自分なりに書いてみたい、そう思っていくつか本を読んだのだけど僕の手には負えない。自部の言葉にならない。故に、一度退却すべく密教というMからあるMへとつなげよう。そう次回のMは退却した、つまり逃げて逃げたあるMを紹介したいと思っています。

ただ時折、仏教については立ち返る予定。最近、法然房源空が革命的人物であることを知った。専修念仏だと法然より親鸞が重要視されるけど、この法然が実はすごい。この法然の出現は仏教という範疇にとどまらない、現代に通ずる転換をもたらしていた。そんなことも今後書いてみたいと思う。

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