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2010年10月23日 (土)

ネイチャー・センス展/ SENSING NATURE

Sensingnature


○ 今日はね「ネイチャー・センス」展へ行ってきたんだよ。

● 「ねーちゃん、扇子」展・・・ジュリアナ・・・むふふ懐かしいねぇ・・・いい時代だったねぇ

○ 入るとねでっかい箱に羽根が舞ってるわけ、異空間

● なるほどジュリ扇が激しく舞ってるわけだね・・・オシリもうねってるわけね・・・そそられえるね・・・行ってみたくなるねぇ

○ 大画面のスクリーンも迫力あったなぁ

● そーだよね欠かせないよね

○ それから真っ赤な血みたいのが、不思議だった。

● 女をめぐる争いだね・・・いいオンナいたもんな

○ 雪山の林もキレイだったよ

● ユキ山野の足がきれいだった・・・誰かな?でも見たいかも

○ 会場に山がそびえていたりね

● お立ち台だね・・・ボディコン・・・パンチラ・・・Tバック・・・いいねぇ

・・・この展開ちょっと辛くなってきた。。。


こんな感想は参考にならないって?
だって・・・参考にして欲しくないから、是非行って体験して欲しいから

少し真面目な感想を書けば

3人のアーティストが凝縮した自然を感じてみる。
それは自然とは違った自然だけど、言ってしまえば人工物の自然だけど

何かと自然のせいにしたり、あたりまえに思っている自然を
少し違った方向から気付さられると思います。

ただ、一つ考えたことというか気付いたことは、上手くいえないのだけど作品における質と量のこと。
作家の意図とは思いたくない、キュレーターの意図で無理にこうなったと思いたいのだけど、
大きいものや迫力という表現に偏りすぎではないかということ。

栗林隆さんの作品は十和田市現代美術館でも見たものと似ているのだけど、つまらなくなっている。十和田のそれは頭を突っ込むとそこは箱庭に詰まったジオラマがある。
箱庭というのは一つの宇宙であり、別世界なわけで、頭を突っ込むことでこっちの世界からあっちの世界を覗く妙な気分が作品の面白みであると思う。でも今回の作品はでかすぎる故に、別世界でもなくリアルな風景になってしまっている。白い空間に、他人の頭が浮かぶというのはオモシロいけど、それはこの作品の2次的な産物で、本来の意図としてはスケールアウトだと思う。

篠田太郎さんの水滴が落ちる作品は、水滴が落ちてできる波紋が重要なのだけど、プールが大きすぎて波紋が。。。
篠田さんは本当にあんな大きなプールを望まれたのかな?と思いました。

吉岡徳仁さんの羽根の舞うSNOWは、ああいう表現が適切と思う。けど、あれほど大きなガラスを吉岡さんは望んだのだろうか。

母なる自然の生み出す広大な風景だけど、それを量として表現しようとするのには疑問が残る。
日本の文化は小さな宇宙が大きな宇宙を想像させるところにある。
あまり批評は書かないつもりだったのだけど、今回の展示に関してはよい作品になり得たかもしれないのに、収益性を意図し過ぎて失敗しているような気がしてつい書いてしまった。
もっと小さく適当なサイズやればもっと洗練されたものができたように思えて仕方がない。

今回の展示はアートともインスタレーションとも呼べない。。。エンターテイメントかなと。
ハリウッド、EXILE、AKB48にも通ずる量の演出。

そしてどこか六本木ヒルズという存在にも通ずる展示だったように思えます。
なんか悔しい。

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