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2011年2月11日 (金)

【book martin 41928】 006-02カール・ポランニー『経済の文明史』 経済の実在的と形式的

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ポランニー『経済の文明史』を自分なりにどうまとめてみようか迷ったのだけど、キーワードを挙げてそれについて書いていくというのがいいかなと思う。

経済・・・実在的と形式的

ポランニーは、「経済」には実在的な意味と形式的な意味があるという。それらは融合されてしまって意識をされずに使われており、悪い影響を与えていると。簡単にいえば「実在の経済」とは生きるための交換であり、「形式的な意味での経済」とは「経済的」や「経済化」といった使われ方をする経済だ。

現代に生きる私達は経済というと利潤を求める交換であったり、節約であったり、無駄にお金を使わないだとか、お金の損得のようなところに経済という言葉を使っている。マイケル・サンデルが批判した功利主義や合理的というものの多くがこの「経済的」な思考に基づいている。でもこういった考え方はアダム・スミスにはじまる近代経済以降に登場したものであって、人類史上みると特別なものでしかない。

生きるための経済があったということは次のキーワード「互酬」で説明するけれど、経済の発端はとにかく生存するためにあったということを忘れるべきではないと思う。経済という言葉を使うとき、市場経済をさすことが多いと思う。でも、人類史でみれば非市場経済というものが長きに渡って存在し、生きるための交換が行われていた。獲物を得たらそれは誰のものとするでもなく、皆で分けて食べるのが当たり前だった社会があって、実はそれに基づいた社会が近代に入る前までにかなりの比重を占めていたということ。

一方の形式的な経済についてはこんな書き方をしている。「手段の不足性に由来する選択によって規定されるもの」だとか、「節約行為の連続、すなわち稀少性の状況によって引き起こされる選択の連続」だとか。ウ~ン、分かりにくい言い回し。形式的経済を合理的に考えた場合、選択するということは、そもそも手段が不足している状態を示す。喉が渇いたときは、一杯の水を飲む、病気で動けない人には、誰かが看護する、これと同じこと。ただもう少し補足すれば、不足とは必要に対しての不足でもあるけれど、不足と感じれば不足していることになる。雑誌をみたらかわいい服があって、この冬はこの服がないと取り残されたような気分になる、というのならそれも不足ということ。ポランニーの言葉で言えば「不足のないところでの選択があるように、選択のないところでの手段の不足も存在することが容易に理解できる」というふうになる。そして、情報や刺激が無限に溢れる社会では「手段の豊富さが、選択の困難さを減らすどころか、増加させている」わけだ。

人間の経済というのは「経済的な制度と非経済的な制度に埋め込まれ、編みこまれている」という。僕らは経済をずいぶんと狭い意味でしか使っていなかったように思う。
最近、大森区と蒲田区が合併して、一文字ずつとって大田区ができたということを知った。ずいぶん味気ないミックスをしたなと思った。たしかに森蒲区とは言い難いけれど、汎用性の高い方の文字同士を組み合わせることもないんじゃないかなと。。。経済という文字もずいぶんと冷淡に感じるし、年々そのイメージを増しているようにも思えるけれど、元はもっと血の通ったものだったんだなぁ。。。

(続く)

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