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2011年3月 4日 (金)

【book martin 41928】 008村上隆『芸術家起業論』『芸術家闘争論』

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僕が学生の頃、Rem Koolhaasという建築家にすごく惹かれました。斬新で、ポップで、不可解で、しかも資本主義というものをまるで手中にしているような感さえある。学生の間では、少ない頭で彼を読み解いてみようとする・・・といっても全然理解出来ていなかったのですが。。。
最近のRem Koolhaas及び彼の建築事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)についてはよく知らないのですが、たまに雑誌やネットで見かけると、ある部分で彼の建築がも変わってきているように感じます。

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彼の設計手法は大きく変わっていないと思います。それはプログラミングといってデータをベースにして建築を構築していく方法です。例えば、シアトル図書館は世界中の図書館を研究した結果であり、またハーバードでは資本主義の原動力であるShoppingの研究をしたり、建築の外での建築活動をAMOという形でマーケティング、ブランディング、コンサルティングをするといったように、人間の行動や経済との関わりを緻密にリサーチし解析していく。建築としての彼の面白みはこれらの上にあって、現実のデータが、既存概念の概念を超えて、予想外の形態として現実化するということです。あえてデザイン上の作風といえば、そういった既成概念を超えた部分を誇張したかのように形にすることで、スタイリッシュな中に意外性やアンバランスな感覚を持ち込むことでしょうか。そして発表される建築は見るものに毎回斬新さを感じさせます。

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変わってしまった部分の話に戻りますが、これがこの村上隆の著書につながってくるのです。僕らが学生であった頃、彼のプログラミングの話は難しくついていけないところがあった。そうすると結局、彼の意匠(デザイン)の話が中心になってきます。特に彼はポップでクールな意匠に過去の巨匠、特に近代建築の二大巨匠であるル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエの建築言語(デザインの表現手法)を批判的に使ったり、時にはコルビュジェの写真を真似たりもした。学生時分の僕らはプログラミングの話は放って、その読み解きの方に夢中になった。僕らだけではない、当時は文系な建築系の雑誌がまだあって、批評家たちもRem Koolhaasの意匠について論じていた。そして僕らは批評家たちの読み込みを読み込んで。。。と、そんな具合であった。
その後、Rem Koolhaasは意匠的な解釈云々というレベルでのことに興味が薄れてきたのか、徐々にデータを用いるの手法にどんどん進んでいったようです。特に中国をはじめとする急速に変化する新興国で新たな建築が生み出すことの方が興味深かいのでしょう。

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実は今回、村上隆さんの著書『芸術起業論』(2006年)と近著『芸術闘争論』(2010年)を連続して読む中で、Rem Koolhaasのやっていたことが氷解しました。この本には現代アートシーンを理解する前提を分かりやすくして説明してくれています。なおかつ、芸術家を志す人のためには芸術でお金を稼ぐ方法、つまり作品を売るための方法が書かれています。言うまでもなく、これらは勿論デッサン力など、ある程度の技量、実力はある、という前提での話。
まずアート市場の中心が西欧であることと、そのアート市場で作品を買っているのは主に富裕層であるという前提があります。市場性から真逆にあるかのように思える芸術であるけれど、一つの商品として考える場合はどうしてもこの文脈を外せない。ここに、海外で成功できる日本人芸術家が少ない理由があるというのです。

村上隆さんがいう西欧における現代美術のコンテクスト(文脈)とは以下の5つ。
自画像
エロス

フォーマリズム(ここでは歴史を意識すること。「厳密には内容より形式を重視し、形式的要素から作品を解釈しようという美学的傾向」のこと)
時事


日本であれば何々流といったように流れがあって、そのなかで異端な作家なんかがいて、新たな流れを生む。。。といった感地がしますが、西洋はやはり論理的で、新たなロジックで超えていくという感じがします。闇雲に自己陶酔的にオリジナリティを追求してもダメで「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」が大切といいます。そのためにはまず歴史を学べと、特に戦前戦後付近から現在に至る歴史を重点的に学べと言っています。他にもアートについての意外なことが書いてあります。日本人のアーティスト像はひとつの作風を生涯かけて創り上げていくようなものがありますが、アート市場では全くダメなようです。現代美術の世界ではアーティストに振り幅が求められる。常に新しい何かを感じさせる存在でなければならないのです。

Hiropon

村上さんがオタク文化を現代アートとして表現するとき、フィギュアを等身大にデカくしたりとか、ただ表現に新しさがあるというのではなく、それを美術史とつなげていく作業もをしていく。例えば、10年以上前でしたが、村上隆が「SUPER FLAT」という概念を掲げたことがありました。日本美術の2次元性やオタクの漫画の2次元性のつながり、またIT革命やグローバル化を通して、垂直的、ピラミッド的、中央集権的な世界の関係がフラットになっていく様子などFLATにはアートのそして世界の現状との関わりが込められているのです。昨年ベルサイユ宮殿で行われた大規模な個展も、歴史的な過剰な装飾とサブカルでオタク由来のアートがマッチングしているというか、させているように見せることのスゴさを感じます。

Rem Koolhaasがかつてやっていた巨匠からの批判的な引用は村上隆が現代アート界でやっていたことと同じことだな・・・おそらくと・・・思うわけです。実はよくデザインのサイトDezeenをよく見るのですが、新たな造形というより既成概念を抽象的にしたり、批判的に利用したもの、その上でスタイリッシュだったり新鮮だったりするものが多いなとも感じていました。建築史上の或いは美術史上の文脈にのせることで批評性のある作品にする。それが各分野の評論家の目に留まり論じられる。閉じているといえば閉じている、逆にわかる人にはわかるという構造になっているということなのです。
だから村上さんはこの構造を理解した上で、勝負しなきゃお金にはならない。儲けようとかではなく、食えるアーティストにならなければ、作品を作り続けていくことができないんだと。

もう一つ日本の美術教育の有り様をものすごく批判しています。美大・芸大へ入学する前に美術予備校でデッサンはとてもうまくなる。それは世界で他に例を見ないほど、日本の誇れる独自の教育システムだと。なのに、いざ美大・芸大へ入学すると宗教のように個性的なものを創れとばかり叩き込まれる。また、日本ではゴッホのように芸術家は金に貪欲であってはならない信仰が強い。自分だけのオリジナリティを独力で形しないといけない、みたいなことを思っている。
村上さんはそれじゃダメだと言っている。だから自身の工房カイカイキキでは徒弟制度のようなことをやっていて、村上隆の下働きみたいなことをしながらも、芸術家としての哲学的な部分から叩き上げるみたいなことをしている。

この本は現代美術作家になりたい人にとっては必読でしょう。村上隆さんを知りたい人も必読でしょう。アート鑑賞好きの人にとっては、現代アート基礎の基礎となる仕組みを分かりやすく説明してくれています。そして、アーティストたるものがなぜマイノリティで、アナーキーで、破滅的で謎めいたものでなければならないのか。演じる者、読み解く者、それを盛り上げる者、遠いところから眺める者・・・こういった構造が世界の一つの断面であるということ。オタクなものがロー・アートが最先端のハイ・アートになるというようなこと。。。

村上隆のFM芸術道場はなかなかおもしろいです。ポッドキャストでも聴けます。

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