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2011年4月10日 (日)

靴の勉強をはじめます

実は震災の日は、僕の32歳の誕生日でした。まさか今年の誕生日がこんなかたちで記憶に刻まれるものとなろうとは思いもよらず。震災の被害、福島原発で戦後最悪の国難に陥っている状況ではあるのですが、僕にとっては明日から新たなことが始まります。
これからの一年間、平日仕事をしながらですが、毎週日曜日は靴の勉強を始めます。

このBlogにも書いているとおり、今働いている会社ではデパートなどで販売されている既成靴をつくっています。朝から夜までキビキビ動き回りながら数百足を生産する毎日なわけです。靴作りに携わるようになって2年弱経ちました。少しですが、前進できるかな。。。
学び始めるということは、始まりのはじまりですが、今思う気持ちを書きとどめておこうと思います。壁にも当たっていない純で無垢な今の気持ちをすこし。

靴を作ろうと思ったのは、靴が好きということよりも自分の気持ちを感じとった結果です。特にこれといった取柄のない僕がですが、コツコツと作るようなことがしたいと思いました。そして少しでいいから人の為になりたいなということも常々思ってきました(人の為になりたいなんて、ずいぶんと欲張りな考えのような気もするのですが)。僕の身の程で、少しでもそういったことが可能ならばと考えていたわけです。

男女ともに既成靴が足に合う方は良いと思います。比較的安価で沢山の種類から選択できますし、楽しく買えるし楽しく履けるし歩けるし。ですが巾広や甲高、女性を中心とした外反母趾など足に問題を抱えている方々が少なからずいます。やっぱり靴として一番重要な要素は、ファッション性でもなく、歩くための道具として足にフィットして快適に歩けることです。おしゃれはその次ぎです。だから理想的な話をすれば足を測ってその人の為の一足をつくるという、オーダーみたいなことをやってみたい。

またこれは食べていく為の選択でもあります。これは靴メーカーで働きながら日に日に増す考えなのでありますが、こんなに作って何になるのだろうと。偽物の宝石みたいのがジャラジャラついたものを作ったり、履き続ければ病気になるようなモノを作ったり、仕事で給料を頂きながらも矛盾を感じながら作業をしています。
更に今の大量生産消費社会は一つ曲がり角に来て、大量生産のシステムで如何に少量多品種をこなすかになってきて、そこにコストダウンも絡みそのシステムにもかなり無理が出てきはいる。そういった時にメイド イン ジャパンであることだって、そこに日本人の雇用が生まれることを除けばあまり意味がなくなってきています。自由主義経済的に、同じようなものなら安く作れれば生産地なんて重要ではないのですから。メイド イン ジャパンである必要性は作る側、買う側でmade in japanという印字にかすかに残る思い入れだけではないか、そう思います。
じゃあ日本で作り続けるためには、どうすればいいか。それは日本人の一人ひとりのために靴を作るということしかないと思います。

これからの日本は厳しい状況が続くと思います。でもまた新たに進みはじめていきます。理想的なことを言えば、数値的な発展ばかりではない、非経済、非科学といったことも含めて社会が次のステップへと進んで欲しい。
半藤一利さんが「昭和史1926-1954」の冒頭部分で日本が開国をして日露戦争に勝利した直後を頂点とし第二次大戦で敗戦するまで、上り調子の40年、下っていく40年であったと、そして講和条約でアメリカの管理下を脱し新たな日本を作って40年後にバブルの絶頂を迎えたと書いてます。いまそれから20年余り、仮にこのようなサイクルがあるとするならば、今は下り坂の中間点であってあと20年は下ることになる。社会学者ウォーラーステインもちょうどその頃(低賃金を求めた)生産地移転、原材料の高騰、福祉予算の増大が限界に達し世界が新たな局面を迎えると言っています。20年後くらいには新たな日本が再出発するであろうとするならば、僕は50歳を過ぎていますがその時を信じて、希望をもって少しづつ変えていけばいいと思います。

そういったさきがけとして無形の情報というものが20世紀までの物を中心とした価値感を転換してくれるんじゃないかという気もしてます。社会学者の見田宗介さんは、人は必要を最優先に考えるように思われているけど、「〈人間の生きることの歓び〉という原義的なものは、『必要』にさえ先立つものでありながら、どのような『必要』の限度をも超えて、限り無く自由な形態をとることである」という。振り返ってみれば、日露戦争直後もバブルも欧米の価値基準をもとにした頂点であった。でもどうだろう、頂点へ向かう志向そもそもが日本には適さないのかもしれない。世界とつながらなくていいとかではない、ナショナリズムを唱えるということでもない。外から持ってきた仕組みで作り上げられた今の日本には無理があるのでしょう。日本の歴史と文化があって、その上にあるべき社会というものは違うんじゃないかということ、今の日本は頭と体が完全にねじれてしまっているような状態だと思う。ねじ切れてしまわないうちに、松岡正剛さんの言葉を借りればこの「一途で、多様な国」の「日本という方法」を模索するようなことが必要ではないだろうか。。。なんて思ったりします。

利益と効率を最優先にする現在の経済化では福祉国家スウェーデンでさえそのモデルが適応できなくなりつつあるといいます。村上隆さんの話では、インドネシアの役人が「たしかに経済は急成長したが、文化がない」と嘆いていたそうです。日本を含め世界的にも20世紀の反動を乗り越えていかなければならない。日本にもまたいつか「逝きし世の面影」に描かれていた笑う日本人が戻ってくることを切に願うのです。僕にとっての靴作りもそんなことを抱きつつ始めることです。

見田宗介さんは、消費には生きる為の消費と欲望の消費があると言っています。靴にとっての生きるための部分といえば歩きやすいことそれにつきます。誰かに会いに行く、食べ物を買いに行く、学校へ通う。。。その為に靴があります。
正直、楽しみ半分、不安半分です。こうやって書いていることだって、自分が正しいと信じたいというか、憶測が当たって、良い日本を取り戻し、できれば働きやすい社会になっていて欲しいとか、持続可能な社会になっていて欲しいとか、そういったのぞみ半分です。

とりあえずお金を貯めながら一年間学び、その後どうしてゆくのか考えながら学んでこようと思います。

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