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2011年6月 5日 (日)

【book martin 41928】 009網野善彦『無縁・楽・公界』

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歴史は疎いから、いつも大意つかむのでやっとになる。歴史の本は資料がたくさん出てくるけど、それに一つ一つ食いついていたら読み終わらないので、ざっくりエッセンスだけ頂く感じ。網野さんの本は何冊かよんだけど、いつも網野史観はいいと思うな。権力側からみた歴史でなく、庶民からみた歴史。

この『無縁・公界・楽(むえん、くがい、らく)』は日本のアジール(聖域)の話。日本には権力の及ばない、社会から無縁の地域や場があった。治外法権で借金取りさえ追ってこれないような場。地域としては、博多や出島の長崎、桑名なんかも。博多には豊臣秀吉の御家人は屋敷を建てる事ができなかった。あとはいくつかの寺社の敷地内も無縁の場、例えば縁切り寺もその一つで、江戸時代は女性から離縁を迫ることができなかったけど、数年間そこで修行すれば縁切りが成立する。

面白いのは、楽市の話しかな。一般的に信長が自由市場を設けることで、尾張に商業を集中させて、他の大名から経済力を削ぐ目的があったとされているけど、網野善彦さんの見たては違う。楽は無縁の場で、社会にとってのアジールであったというもの。世の無縁の場にこそ経済発展のうごめきがあった。

寺の建立の為に資金を調達する勧進という職がある。この寺は最もわかりやすいアジールで、アジールだからこそ勧進という役割が成り立つ。アジールに属する勧進だからこそ、進んで寄進することができる。これは何かといえば、人の経済的な感覚というのは、利益を得るという事にかなり違和感があったということ。

無縁とされる場だからこそ儲けるとか寄付するということを行いやすかった。
西洋の資本主義のエートス(行動の動機)がプロテスタンティズムの勤勉さからきたというヴェーバーの話は有名だけど、日本の経済もこの世から距離をとった聖域で経済が発展した。これは、今の社会の経済観を疑う上で重要だと思う。ポランニーのいうような、生きるための交換が経済の始まりであり、人は損得で行動するという昨今の経済観の方が人類史上では異質であることを示す例となる。


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