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2011年7月 5日 (火)

「倉俣史朗とエットレ・ソットサス」@21_21 DESIGN SIGHT

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倉俣史郎&エットレ・ソットサス展を見ていたら、学生の頃読んだロバート・ヴェンチューリの「建築の多様性と対立性」を思い出した。彼の考え方には、共感するものがあったけど、何故彼の建築はこの表現なのかと腑に落ちなかった。

ポストモダンの表現は、今から振り返れば受け入れ難いものが多い。どう考えてもただの記号の寄せ集めではないか、言葉遊びをするには建築というのは、強い存在で在り過ぎる。
建築学科に在籍していた頃、教授の中にはポストモダンの生き残りみたいな方もいらっしゃって、時代遅れだダサいと若気のいたりで小馬鹿にしたものだった。
じゃあ自分なりにモダニズムを批判したのかといえばそうではなく、今はこれだとオランダ建築に飛びついた。レム•コールハースに未来をみて、卒業設計も見事にコケた。。。アホな学生であった。
けれど、建築からは年々縁遠くなりながらも今回この展示を見て、ポストモダンを自分なりに問うこととなった。

今の建築、デザインは当然のことながらモダニズムを批判したポストモダンを経ている。モダニズムという思想は時を超えて常に問われる理性のデザインであって、それを批判することはなかなか骨の折れるはずだ。三十路も超え、ただただカッコいいとか、ポップでイケてるとかそんなことへの興味は年々萎えてきている。そんな今の自分には一つのいい問いのように思えた。

ポストモダンがノッていた時代、当時は経済成長がエンドレスかもしれないという幻想があった。西欧資本主義のイェス¥e$(eはユーロ)からChina元になるかもしれない現在、やっぱりポストモダンについて考えなければ、モダニズムは終われない。

今回の展示で表現の仕方を批判することは、 全く意味がないと思う。二人が目指したのは人間らしさへの回帰だ。モダニズムが排除した多様性や曖昧なもののなかに生命の根源を見出そうとした。

倉俣史郎さんの作品を眺めていると、吉岡徳仁さんはその継承者なんだとつくづく思う。素材を極め、あっと驚くレベルまで昇華する。
数十年後の活躍している吉岡さんの方が、加工技術の進歩もあるし、洗練された表現をしていると思う。けれど生命の表現では、倉俣さんの領域にはまだ到達していないと思った。

倉俣さんは時とともに変化する素材を好まないと言っている。僕は素材が経年で変化していくことが諸行無常で、受け入れるべきことと思っている。だからこの言葉を噛み締めてみたいと思った。
確かに、倉俣作品は時間が止まっている。生命を表現する時、有機的なモチーフを使うデザイナーが殆どだと思うけど、彼は全く違ったアプローチをしている。それにどうだろう。僕には椅子にもテーブルにも人が不在に思えた。もちろん有名な傘立てのような深澤直人さんへと繋がりそうな、遊びのあるものもある。
透明なアクリルの中に真っ赤な花を埋めた椅子ミス•ブランチ。閉じ込められた生々と死んでいる造花、装飾を排除しガラスのエッジを見せたり、割れたガラスをテーブルにしたり、その素材にとっての生と死のキワを 、その儚きキワの一瞬を形にすることで、生命を表現しているように思う。

天晴れの美、それが倉俣デザインなのかな。押井守のスカイクロラは、キルドレという大人になれない戦闘機乗りが空中でバトルすることでしを感じることで生を自覚できるといった。天晴れは哀れが転じてた言葉だ。死との瀬戸際を生きる武士を讃えた言葉が、天晴れ。

今回の展示でエットレ・ソットサスが最晩年にスケッチしたガラスの器を多数見ることができる。建築やプロダクトを手がけたデザイナーにしてはロジックの一切ないユーモラスでカラフルで、ガラスのオブジェ。そのスケッチはまるで小さな子どもが描いたもののように見える。
銘品と言われるオリベッティのヴァレンタイン(タイプライター)をデザインした彼が、メンフィスではカラフルで積み木遊びのようなものをデザインした。つまり、ソットサスにとってのポストモダンは、モダニズムが排除した多様性を取り戻すことだったわけだ。彼はそこに人間らしさを求めた。

2人にとってのポストモダンは人間らしさを追い求めながらも、全く違ったアプローチだったわけだ。西洋の強固なロジックから抜け出し自由な発想を目指したエットレ・ソットサス。日本という比較的に生きることに恵まれた環境で、更に経済成長の混沌の中に惰性で生きることは半ば死んでいると言わんばかりに、生死の境界を突いた倉俣四郎。
21世紀も10年経過し、大震災や原発の問題を抱えながらも、相変わらず問題をすぐ2択にしたり極論に振れて思考停止してしまう社会に唖然とする毎日。まずは、豊かさより先に人間らしさがあるということを再認識しない何も変わらない。人間らしさってなんだろううと、考えながら生きるということはアーティストのみならず、誰もが抱えるべき問題だと思った。

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