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2011年9月

2011年9月20日 (火)

Terrence Malick - Tree of life


テレンス・マリック「ツリー・オブ・ライフ」を見ました。
感想というか、解読というか、誤読というか。
映画はたまにしか見ないので、通な見方はできませんが…。

あえて一言でいうならば
大きな物語なんてないでしょ、ということ
もっと迫れば神は存在するの?みたいな
(ただしこの神ってのには、
後でちょろっと自分なりの解釈をつけます。)

コンパクトにしすぎだけど、そんなことだと思う。
僕は詳しくないけれど、聖書についての知識があれば更に理解できるだろうし、奥深く面白く見れる映画だと思う。

冒頭は旧約聖書「ヨブ記」で始まる。僕はヨブ記の問いをテレンス・マリックなりに映像化したのがこの作品なんじゃないかと思った。
ヨブ記についても後ほど。

ストーリーは、現代に生きる成功者ショーン・ペンが自分の少年時代を回想するのがメインになっている。回想する時代は、古き良きアメリカ、そして描かれるのはその理想的な家族の話し。そして徐々に家族の中がギクシャクしてくる。

そんな中に、いくつかのキーとなる設定がある。聖書に詳しければたくさん気づくはず。僕が気づいた部分だけメモ書きします。

三人兄弟の次男が死ぬというのは
旧約聖書「創世記」のカインとアベルの話と同じ。
長男カインと次男アベル、三男セトはアダムとイヴから生まれ、カインは農業を、アベルは羊の放牧をした。
カインは初の収穫物をアベルは羊を神ヤハウェに供えた。しかし神はアベルの供物しか受け取らず、カインの供物は拒まれた。カインはアベルに嫉妬し殺してしまう。ヤハウェはカインにアベルの行方を尋ね、カインは「知りません。私は弟の監視者なのですか?」と答え、これが人類初の嘘と言われている。

小さなところでは、スーパーの駐車場で何やら暴れ狂う悪人達が手錠をされて警察車両に押し込まれるシーンに不意に挿入される母が水筒の水を悪人に飲ませる映像。
これはキリストが背に十字架を背負いながらゴルゴダの丘を上がって行く時に、女性がキリストに水(ミルクだったかな )
飲ませてあげる話と重なる。
奇妙な人物を遊ぶ場面もある。
善良であろう者は誰、義しい(ただしい)者は誰、そんな暗示かな。

不意にしかもかなりの時間を割いて挿入される、地球が誕生し、細胞レベルの生物が誕生し、恐竜が誕生し滅亡する映像
は、今人間が生きているのは、神が創造したものか、単なる宇宙の因果なのかと問うているように思えた。ヨブ記でもそんな問答がある。

他にも沢山あったと思うけど、忘れた。

この映画は、古き良きアメリカの幸せという物語が終わっていく様子が描かれている。
強い厳格な父親、父親の勤めるは重工業系の大企業でありながら映画の終盤で工場の閉鎖とともに解雇される。
父の躾けは、強さと競い勝つこと、負けるなということ、正直なだけでは生きていけないということ。
日曜日には家族で教会に。
素晴らしいマイホーム、広い庭、美味しそうな食卓、流線型の自動車。

色々な暗示がされていると思った。
人間が創り上げた欲望の社会とはなんなのか
父性とは何なのか
母性とは何か
自分さえ生きれば良いのか
生命とは何か、自然とは何か
なぜ生まれるのか
なぜ死ぬのか
なぜ生きるのか
悪しき者が生き、善良であろうものが死ぬのか

ショーン・ペンは母親が大好きだった。しかし、父を嫌いながらも父に似ていく自分。
母親は愛し合い、助け合いうこと望んでいた。そんな母に似たのは弟だった。
自分より善良であろう弟は19歳で死に、自分は成功者として生きている。これはカインとアベルでもあるし、ヨブ記にも通づる。

この映画を見たあと、どうにも気になって岩波文庫の旧約聖書「ヨブ記」を読んでみた。
自他共に認める神に義しい(ただしい)生き方を全うしてきたヨブの人生があるとき一転する。
全ての富を失い、人望も失い、人々は去っていき、彼の体は腫れもので覆われ、死んだほうがましではと思えるほどの苛酷な試練が与えられる。
彼は神に問う、なんでわたしがこのような目に遭うのかと。
私は神が義しいとする行ないを全うしてきたではないか。散々悪業に身を浸してきたような者が生きているのに、なぜ私がと。
ヨブは最後に神と問答をする。神はその完全さをヨブに示し、最後にヨブは神にひれ伏す。すると、彼は元の倍の幸せを手に入れる。
それがヨブ記のあらすじ。

完全なる神というものに違和感を覚えるのは僕だけだろうか。それは日本人だからなのか、何なのか。
このヨブ記を読んで、ゲーテは「ファウスト」をドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」を書いたらしい。

神がいるのかいないのか、僕もわからない。けれど思うのは捏造された神、神の皮をかぶった悪意や私利私欲があまりに大きくなり過ぎてないか。そして、安易に神を信じ過ぎてやしないか。
それがテレンス・マリックの投げかけなのではないかと思った。

個人的には、父親についても考えさせられたな。そして、だいぶほったらかしになっていた、カラマーゾフの兄弟を読んでみようと思った。

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