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2011年11月 1日 (火)

メタボリズムの未来都市展、そして東京、ローカルな未来へ


Metabolism

メタボリズムの未来都市展へ行って、何かヒントを受け取ることはないだろう。あったとしてもそれはきっと反面教師的な何かでしかない、という思いで見に行った。

メタボリズムという運動は建築やデザインに携わった人でないとなかなか馴染みがないと思う。実際会場でも、メタボリック症候群と関連ないの?という小声がチラホラ聞こえてきた。。。やっぱりwww

会場の映像で川添登(批評家としてメタボリズム支えた)がメタボリズムという言葉が選ばれた経緯を話していた。
メタボリズムは新陳代謝という意味で、建築やデザインの生命力のようなものを示したかったのだそう。メタボリズムというと増殖のようなイメージが強いが本来それは一部でしかないとのこと。
新陳代謝がというテーマ先で、しっくりした言葉を探していたところ、和英辞典でメタボリズムが出てきたという。候補に上がった言葉には、輪廻転生、生々流転などあったそうな。
メンバーの人選について黒川紀章や菊竹清訓があまりにファンタジックな提案ばっかりするものだから、現実的な槇文彦や大高正人を入れたという話も面白い。

メタボリズムの建築は生命力がテーマになっている、といってもそれは環境との共生という考えはあまりなく、まるで巨大なロボットが年に登場するようなイメージのものが多い。メンバーたちは当時のどこまでも成長していくような都市に対してそれぞれが野心的な拡張のシステムを提案している。今の僕らが見れば、それらはまるでありえないことなのだけど当時はどの程度リアリティを感じていたのだろうか。

非建築家のヴィヴィアン佐藤さんは建築は弱いとよく言っている。六本木ヒルズ森タワーのような大きく頑強な建築も人や時代が変われば、あっさりと適応できない廃墟のようなものになってしまうのだからと。つまり単体であっても建築は弱い、それがシステムであればもっと弱いと言える。システムは全てを覆えない、いくら大きなシステムでもそれは結局内向きなものでしかなくて、拡張可能なシステムということ自体に矛盾を孕んでいる。

じゃあメタボリズムが今に何も残さなかったかといえば、そんなことはない。槇文彦の代官山ヒルサイドテラスは30年近くかけと少しづつ建築されてきた。ヒルサイドテラスの一連の建築は特にルールを設定していないながらも、統一感のある街並みをつくっている。やはり、システムのない創造の方が継続できるということなんだろう。

経済学者ハイエクは自由には、積極的自由と消極的自由があるといった。積極的自由とは、我々にとって自由とはこうだこういう社会を作るんだといった考え方。一方の消極的自由とは、社会を抑制するような権力や制度があってそこから自由になろうという考え方。ハイエクがいうのは、積極的自由はピューとぴあのようなものを作ったり、結局それを達成することで誰かが犠牲になるじゃないかということ。つまり、消極的な自由というのがあるべき自由なのではないかと言っている。
メタボリズムも積極的に未来を描いたものは長く続かないものであり、消極的に未来を示したヒルサイドテラスは代官山に馴染み、街並みをつくっている。

このメタボリズム展を見に行く前日AIT(http://www.a-i-t.net)の第4回東京事典で、森美術館館長南條さんの話を聞いた。これからの都市はセミラティスがキーワードになるという話だった。
セミラティスとは、ヒエラルキーがなく要素が関連しあうようなことで、それが東京なんだという話だった。そして、東京の衷心は空虚な皇居である。だいたい世界の都市は歴史的にヒエラルキーが存在し、レジスタンスがあり、自由を奪い合う経緯をもっている。東京はそれがない、とても稀な都市なのだ。
今東京をブランディング仕様という話がるらしい、でもきっとうまくいかないと思う。意図的に切り取って、際立たせるというのは東京らしくない。

システムというのは神や愛のように、誰かにとってもしくはその集団にとっての崇高なものであり、何かしらを排除してしまう。一方、セミラティスというのは心粋のようなちょとした親切で、見返りを求めないし、誰もが与え与えられるよう関係によるものなものなんじゃないかと思う。

建築の話からは少し離れるのだけど、AIT第4回東京事典でヒントとなりそうに思えた事を2つほど挙げたい。
アーティストの藤浩志さんが東京という都市の未来へとつながるヒントを与えてくれた。藤さんはこのように例える。土・・・その土地やその土地の人々。種・・・その土地にある特徴。風・・・外部からやってきて、何かをする人(アーティストやコンサルタント)。光・・・メディア、批評家。水・・・関心をもって集まってくる人々。藤さんはこの水に関心をもっていて、水を集め水で栽培をするにはということを考えながら活動をしている。
これまで都市や街を活性化しよという時、「土」や「種」もしくは「風」にばかりが取り上げられてきた。藤さんは、あまり注目されてこなかった「水」こそ活性化の重要なファクターなのではないかという。
「水」は流れにもなるし、さっと引いていくこともある。人々は好きなもの関心のあるものに直感的に集まり、飽きれば離れていく。この理性や論理や利己のあまり介在しない「水」という存在を

もう一つは、南條さんが話していた隙間。戦後の力強い復興をした日本と今の中国に共通することは社会に隙間があったこと。今の日本は社会がシステムで雁字搦めで新しいものが生まれにくいようになっている。一方、中国は社会が整備されておらず不安定ではあるものの、法を始めとし様々な隙間があり、それが社会を力強いものとしている。


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  メジロスタジオの試みは合理性を逆手に取るというかたちの隙間から生まれたクリエイションの一例といえるかも。。。


東京のみならず、日本は集団が点々としそれがひしめき合うようなことでバランスをとってきた。それが基質だったわけで、元来がセミラティスの性質をもっていた。
そんな日本が海外の都市にいくら倣うことを考えても、何も始まらないのではないかと思う。

もしメタボリズムの未来展に行かれるのなら、日本らしい都市をイメージし、遠い未来の影を感じとってみてください。

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