日本文化

2011年11月26日 (土)

僕の極楽、あなたの極楽 ……僕の南無阿弥陀仏、あなたの南無阿弥陀仏。

すべてをひっくり返した法然という人はすごくって、南無阿弥陀仏と唱えることが、あらゆる経より修行よりも優っているとしたわけだけど
様々な因縁を抱えて生きる人にとって説かれた、念仏のみを唱えよという教えは今にも通ずると思う。

まずは自分にとっての極楽は何かということを知らなければならない。
そのうえで、あなたの南無阿弥陀仏に当たるのは何ですかか、なにを実践することですか、ということなるのだと思う。
それが今に通ずる解釈なんじゃないかと考える。

他力本願という言葉は、はじめから誰かを当てにするとことと誤解されるけれどもちろん全く逆。
自分の限りを尽くせば、そこから先開かれるもの、手を差し伸べる者が現れるということなのだ。

法然が比叡山のエリート僧侶達を批判したのは、その修行によって仏を目指すのであれば、結局それは自利の行為でしかないということ。
だからひたすら念仏を唱えることが何にも勝るとした。例え悪人であった者でも、そうすることで極楽への道が開かれるとした。

物質的な格差が拡がり、ネットによってフラットな空間が拡がり、夢か現かうつろいのこの世界。
僕の極楽、あなたの極楽。そこには何かしら共有できるものがあるだろうし。

僕の南無阿弥陀仏、あなたの南無阿弥陀仏。皆が行えば、少しづつ阿弥陀は手を差し伸べてくれるかもしれない、とか思ったりする。
せっせ、せっせとナムアミダブツ。。。

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2011年11月19日 (土)

あいまいさ、すべてはあいまいなのさ

ふだん当たり前に口にしている単語がなぜか出てこない時がありませんか?その言葉の存在を知っているのにもかかわらず。だから、口から出ないもどかしさを強く感じますよね。

僕の父は十数年前にクモ膜下出血で倒れ、幸い今は元気なのですが、若干障害が残り、話せる単語が減りました。話している様子をみると、父もその単語が存在することはわかるのに単語が口に出せないようなのです。

けれど、なぜわからない言葉の存在に気付けるのか。おそらく、言葉は他の言葉によって定義されるということと関係があるかもしれないと思います。言葉、色、価値、僕らの存在、結局はまわりとの関係で輪郭ができてくるわけです。仏教なら空っていいますよね。

っていうとどうでしょう。定義があるものなんてないし、自ら正しいと証明できるものなんてない。でも、なんとなしに定義されるものがあり、時が刻み少しづつ積み上げたものが私であったり、あなたであったりする。

ならば、曖昧であるというのはそんなにも悪いことなのでしょうか。神は対立を強要されたのでしょうか。

比較宗教学者の町田宗鳳さんは十代の半ばから30の半ばまで臨済宗の僧として修行に励まれていました。無一文同然でアメリカに渡り、仏教を外から研究した方です。
町田さんは先日の連塾でこう話されました。二項対立の国で仏教のもつい曖昧さを、どう説明するかについて。「曖昧な部分を論理的に説明しようとはしません。曖昧さについて論理的に説明するのです。」と。
曖昧さは、曖昧さでいいんです。日本の曖昧さは対立をつなげ、一体化させることができるわけです。
対立がつくった世界は壁にぶち当たっています。ならばどうするか。日本の考え方にヒントがあるのではないでしょうか。

人は論理に頼れば頼るほど、絶滅の時を早めると思うのです。というと、いま不合理と言われてるもの、はたまた異人変人と言われるような人々が生き延びたりするではないですか、きっと。

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2011年11月 1日 (火)

メタボリズムの未来都市展、そして東京、ローカルな未来へ


Metabolism

メタボリズムの未来都市展へ行って、何かヒントを受け取ることはないだろう。あったとしてもそれはきっと反面教師的な何かでしかない、という思いで見に行った。

メタボリズムという運動は建築やデザインに携わった人でないとなかなか馴染みがないと思う。実際会場でも、メタボリック症候群と関連ないの?という小声がチラホラ聞こえてきた。。。やっぱりwww

会場の映像で川添登(批評家としてメタボリズム支えた)がメタボリズムという言葉が選ばれた経緯を話していた。
メタボリズムは新陳代謝という意味で、建築やデザインの生命力のようなものを示したかったのだそう。メタボリズムというと増殖のようなイメージが強いが本来それは一部でしかないとのこと。
新陳代謝がというテーマ先で、しっくりした言葉を探していたところ、和英辞典でメタボリズムが出てきたという。候補に上がった言葉には、輪廻転生、生々流転などあったそうな。
メンバーの人選について黒川紀章や菊竹清訓があまりにファンタジックな提案ばっかりするものだから、現実的な槇文彦や大高正人を入れたという話も面白い。

メタボリズムの建築は生命力がテーマになっている、といってもそれは環境との共生という考えはあまりなく、まるで巨大なロボットが年に登場するようなイメージのものが多い。メンバーたちは当時のどこまでも成長していくような都市に対してそれぞれが野心的な拡張のシステムを提案している。今の僕らが見れば、それらはまるでありえないことなのだけど当時はどの程度リアリティを感じていたのだろうか。

非建築家のヴィヴィアン佐藤さんは建築は弱いとよく言っている。六本木ヒルズ森タワーのような大きく頑強な建築も人や時代が変われば、あっさりと適応できない廃墟のようなものになってしまうのだからと。つまり単体であっても建築は弱い、それがシステムであればもっと弱いと言える。システムは全てを覆えない、いくら大きなシステムでもそれは結局内向きなものでしかなくて、拡張可能なシステムということ自体に矛盾を孕んでいる。

じゃあメタボリズムが今に何も残さなかったかといえば、そんなことはない。槇文彦の代官山ヒルサイドテラスは30年近くかけと少しづつ建築されてきた。ヒルサイドテラスの一連の建築は特にルールを設定していないながらも、統一感のある街並みをつくっている。やはり、システムのない創造の方が継続できるということなんだろう。

経済学者ハイエクは自由には、積極的自由と消極的自由があるといった。積極的自由とは、我々にとって自由とはこうだこういう社会を作るんだといった考え方。一方の消極的自由とは、社会を抑制するような権力や制度があってそこから自由になろうという考え方。ハイエクがいうのは、積極的自由はピューとぴあのようなものを作ったり、結局それを達成することで誰かが犠牲になるじゃないかということ。つまり、消極的な自由というのがあるべき自由なのではないかと言っている。
メタボリズムも積極的に未来を描いたものは長く続かないものであり、消極的に未来を示したヒルサイドテラスは代官山に馴染み、街並みをつくっている。

このメタボリズム展を見に行く前日AIT(http://www.a-i-t.net)の第4回東京事典で、森美術館館長南條さんの話を聞いた。これからの都市はセミラティスがキーワードになるという話だった。
セミラティスとは、ヒエラルキーがなく要素が関連しあうようなことで、それが東京なんだという話だった。そして、東京の衷心は空虚な皇居である。だいたい世界の都市は歴史的にヒエラルキーが存在し、レジスタンスがあり、自由を奪い合う経緯をもっている。東京はそれがない、とても稀な都市なのだ。
今東京をブランディング仕様という話がるらしい、でもきっとうまくいかないと思う。意図的に切り取って、際立たせるというのは東京らしくない。

システムというのは神や愛のように、誰かにとってもしくはその集団にとっての崇高なものであり、何かしらを排除してしまう。一方、セミラティスというのは心粋のようなちょとした親切で、見返りを求めないし、誰もが与え与えられるよう関係によるものなものなんじゃないかと思う。

建築の話からは少し離れるのだけど、AIT第4回東京事典でヒントとなりそうに思えた事を2つほど挙げたい。
アーティストの藤浩志さんが東京という都市の未来へとつながるヒントを与えてくれた。藤さんはこのように例える。土・・・その土地やその土地の人々。種・・・その土地にある特徴。風・・・外部からやってきて、何かをする人(アーティストやコンサルタント)。光・・・メディア、批評家。水・・・関心をもって集まってくる人々。藤さんはこの水に関心をもっていて、水を集め水で栽培をするにはということを考えながら活動をしている。
これまで都市や街を活性化しよという時、「土」や「種」もしくは「風」にばかりが取り上げられてきた。藤さんは、あまり注目されてこなかった「水」こそ活性化の重要なファクターなのではないかという。
「水」は流れにもなるし、さっと引いていくこともある。人々は好きなもの関心のあるものに直感的に集まり、飽きれば離れていく。この理性や論理や利己のあまり介在しない「水」という存在を

もう一つは、南條さんが話していた隙間。戦後の力強い復興をした日本と今の中国に共通することは社会に隙間があったこと。今の日本は社会がシステムで雁字搦めで新しいものが生まれにくいようになっている。一方、中国は社会が整備されておらず不安定ではあるものの、法を始めとし様々な隙間があり、それが社会を力強いものとしている。


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  メジロスタジオの試みは合理性を逆手に取るというかたちの隙間から生まれたクリエイションの一例といえるかも。。。


東京のみならず、日本は集団が点々としそれがひしめき合うようなことでバランスをとってきた。それが基質だったわけで、元来がセミラティスの性質をもっていた。
そんな日本が海外の都市にいくら倣うことを考えても、何も始まらないのではないかと思う。

もしメタボリズムの未来展に行かれるのなら、日本らしい都市をイメージし、遠い未来の影を感じとってみてください。

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2011年3月 4日 (金)

【book martin 41928】 008村上隆『芸術家起業論』『芸術家闘争論』

Photo

僕が学生の頃、Rem Koolhaasという建築家にすごく惹かれました。斬新で、ポップで、不可解で、しかも資本主義というものをまるで手中にしているような感さえある。学生の間では、少ない頭で彼を読み解いてみようとする・・・といっても全然理解出来ていなかったのですが。。。
最近のRem Koolhaas及び彼の建築事務所OMA(Office for Metropolitan Architecture)についてはよく知らないのですが、たまに雑誌やネットで見かけると、ある部分で彼の建築がも変わってきているように感じます。

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彼の設計手法は大きく変わっていないと思います。それはプログラミングといってデータをベースにして建築を構築していく方法です。例えば、シアトル図書館は世界中の図書館を研究した結果であり、またハーバードでは資本主義の原動力であるShoppingの研究をしたり、建築の外での建築活動をAMOという形でマーケティング、ブランディング、コンサルティングをするといったように、人間の行動や経済との関わりを緻密にリサーチし解析していく。建築としての彼の面白みはこれらの上にあって、現実のデータが、既存概念の概念を超えて、予想外の形態として現実化するということです。あえてデザイン上の作風といえば、そういった既成概念を超えた部分を誇張したかのように形にすることで、スタイリッシュな中に意外性やアンバランスな感覚を持ち込むことでしょうか。そして発表される建築は見るものに毎回斬新さを感じさせます。

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変わってしまった部分の話に戻りますが、これがこの村上隆の著書につながってくるのです。僕らが学生であった頃、彼のプログラミングの話は難しくついていけないところがあった。そうすると結局、彼の意匠(デザイン)の話が中心になってきます。特に彼はポップでクールな意匠に過去の巨匠、特に近代建築の二大巨匠であるル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエの建築言語(デザインの表現手法)を批判的に使ったり、時にはコルビュジェの写真を真似たりもした。学生時分の僕らはプログラミングの話は放って、その読み解きの方に夢中になった。僕らだけではない、当時は文系な建築系の雑誌がまだあって、批評家たちもRem Koolhaasの意匠について論じていた。そして僕らは批評家たちの読み込みを読み込んで。。。と、そんな具合であった。
その後、Rem Koolhaasは意匠的な解釈云々というレベルでのことに興味が薄れてきたのか、徐々にデータを用いるの手法にどんどん進んでいったようです。特に中国をはじめとする急速に変化する新興国で新たな建築が生み出すことの方が興味深かいのでしょう。

Rem02

実は今回、村上隆さんの著書『芸術起業論』(2006年)と近著『芸術闘争論』(2010年)を連続して読む中で、Rem Koolhaasのやっていたことが氷解しました。この本には現代アートシーンを理解する前提を分かりやすくして説明してくれています。なおかつ、芸術家を志す人のためには芸術でお金を稼ぐ方法、つまり作品を売るための方法が書かれています。言うまでもなく、これらは勿論デッサン力など、ある程度の技量、実力はある、という前提での話。
まずアート市場の中心が西欧であることと、そのアート市場で作品を買っているのは主に富裕層であるという前提があります。市場性から真逆にあるかのように思える芸術であるけれど、一つの商品として考える場合はどうしてもこの文脈を外せない。ここに、海外で成功できる日本人芸術家が少ない理由があるというのです。

村上隆さんがいう西欧における現代美術のコンテクスト(文脈)とは以下の5つ。
自画像
エロス

フォーマリズム(ここでは歴史を意識すること。「厳密には内容より形式を重視し、形式的要素から作品を解釈しようという美学的傾向」のこと)
時事


日本であれば何々流といったように流れがあって、そのなかで異端な作家なんかがいて、新たな流れを生む。。。といった感地がしますが、西洋はやはり論理的で、新たなロジックで超えていくという感じがします。闇雲に自己陶酔的にオリジナリティを追求してもダメで「世界で唯一の自分を発見し、その核心を歴史と相対化させつつ、発表すること」が大切といいます。そのためにはまず歴史を学べと、特に戦前戦後付近から現在に至る歴史を重点的に学べと言っています。他にもアートについての意外なことが書いてあります。日本人のアーティスト像はひとつの作風を生涯かけて創り上げていくようなものがありますが、アート市場では全くダメなようです。現代美術の世界ではアーティストに振り幅が求められる。常に新しい何かを感じさせる存在でなければならないのです。

Hiropon

村上さんがオタク文化を現代アートとして表現するとき、フィギュアを等身大にデカくしたりとか、ただ表現に新しさがあるというのではなく、それを美術史とつなげていく作業もをしていく。例えば、10年以上前でしたが、村上隆が「SUPER FLAT」という概念を掲げたことがありました。日本美術の2次元性やオタクの漫画の2次元性のつながり、またIT革命やグローバル化を通して、垂直的、ピラミッド的、中央集権的な世界の関係がフラットになっていく様子などFLATにはアートのそして世界の現状との関わりが込められているのです。昨年ベルサイユ宮殿で行われた大規模な個展も、歴史的な過剰な装飾とサブカルでオタク由来のアートがマッチングしているというか、させているように見せることのスゴさを感じます。

Rem Koolhaasがかつてやっていた巨匠からの批判的な引用は村上隆が現代アート界でやっていたことと同じことだな・・・おそらくと・・・思うわけです。実はよくデザインのサイトDezeenをよく見るのですが、新たな造形というより既成概念を抽象的にしたり、批判的に利用したもの、その上でスタイリッシュだったり新鮮だったりするものが多いなとも感じていました。建築史上の或いは美術史上の文脈にのせることで批評性のある作品にする。それが各分野の評論家の目に留まり論じられる。閉じているといえば閉じている、逆にわかる人にはわかるという構造になっているということなのです。
だから村上さんはこの構造を理解した上で、勝負しなきゃお金にはならない。儲けようとかではなく、食えるアーティストにならなければ、作品を作り続けていくことができないんだと。

もう一つ日本の美術教育の有り様をものすごく批判しています。美大・芸大へ入学する前に美術予備校でデッサンはとてもうまくなる。それは世界で他に例を見ないほど、日本の誇れる独自の教育システムだと。なのに、いざ美大・芸大へ入学すると宗教のように個性的なものを創れとばかり叩き込まれる。また、日本ではゴッホのように芸術家は金に貪欲であってはならない信仰が強い。自分だけのオリジナリティを独力で形しないといけない、みたいなことを思っている。
村上さんはそれじゃダメだと言っている。だから自身の工房カイカイキキでは徒弟制度のようなことをやっていて、村上隆の下働きみたいなことをしながらも、芸術家としての哲学的な部分から叩き上げるみたいなことをしている。

この本は現代美術作家になりたい人にとっては必読でしょう。村上隆さんを知りたい人も必読でしょう。アート鑑賞好きの人にとっては、現代アート基礎の基礎となる仕組みを分かりやすく説明してくれています。そして、アーティストたるものがなぜマイノリティで、アナーキーで、破滅的で謎めいたものでなければならないのか。演じる者、読み解く者、それを盛り上げる者、遠いところから眺める者・・・こういった構造が世界の一つの断面であるということ。オタクなものがロー・アートが最先端のハイ・アートになるというようなこと。。。

村上隆のFM芸術道場はなかなかおもしろいです。ポッドキャストでも聴けます。

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2011年2月13日 (日)

相撲の八百長問題を考えるときに

相撲の八百長問題ついて、疑問に思うこと。
勝ち星を売買することは許しがたいことと思います。

ただ大相撲の歴史や文化が、そもそもガチンコ勝負なのかということ。
記憶にあるところでは若貴兄弟の優勝決定戦で兄が勝ったとか、兄に花をもたせ譲ったとか
実際はどうなのかわからないけれど、人情相撲というのはあっただろうし。

最近はガチンコ勝負の格闘技が人気だけれども、プロレスに関しては筋書きのある闘いと誰もが認識した上で、それでもエンターテイメントとして存在した。

勝負ごとだから本気相撲が基本であっては欲しいと思う。ただ国技というのは文化(相撲という言葉は日本書紀にも出てくるらしい)であるわけだから、文化として相撲を見たときに、もし人情やエンターテイメントとしての要素が相撲に存在しているのであれば、すべてを八百長相撲と同義に扱うのは如何かと思う。

マスコミはすぐ短絡して白黒付けたがるの影響もあるけれど、今の日本人は経済原理で合理的でないという論理立てをされるとすぐ納得してしまう。きちんと分けてみていかなければいけないと思う。これは相撲に限らず、政治にも当てはまると思うけど。。。

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2010年9月13日 (月)

銀座目利き百貨街(日本デザインコミッティー主催)

昨日、松屋銀座で開催中の銀座目利き百貨街に行ってきた。
日本デザインコミッティーが2年に一度開催するイベント。
今回はグラフィックデザイナー原研哉さんの企画。

以下説明文webより転載→

銀座目利き百貨街」は四十九人の店主が、それぞれの目を利かせて選定する四十九のセレクトショップからなるわずか六日間の商店街です。
建 築家、博物学者、茶道家、デザイナー、現代美術家、編集者、骨董店店主、脚本家、イラストレーター、評論家、造形家、キュレーター、和紙職人、プロデュー サーなどなど、物を見る目の力が問われる仕事をしている方々に、それぞれ眼力を発揮してもらい、普段では見かけない、逸品、稀少品、珍品の数々を取りそろ え、展示・販売するという企画です。
「目利き」とは、真贋を判定するアカデミックな鑑定眼という意味ではなく、個性的な仕事をしている参加者一人一人の独自の目を活かして、商品を選定していることに由来する言葉です。

転載ここまで←

自分のデザインしたものを出品する人もいれば
自分が目利きして選んだ人もいたり
古本や美術品を売る人もいたり
やる気満々の人もいればテキトーもいてと色々だった。

結構急ぎ足でみたので、会場が混んでいたので
じっくりは見れなかったのだけれど、僕の良いと思ったのは

・芦原太郎さんの選んだティーパック
絶妙な遊び心のあるデザインで良かった

・北川原温さんの選んだサイコ
金属製ののお香の容器で何とも不思議な形

・喜多俊之さんの選んだ寄木細工
心地よいカラフルさと形状のシンプルさが何ともかわいらしい。

・松岡正剛さんの見開き屋
松岡さんの得意のレイアウト(本の見開きの左右ページを関連付けたり、対比的に使う)をアートのようにしたもの

展示品は基本的に購入可能です。
500円くらいのものから100万以上のものまで
会期は短く14日の火曜日まで既に売り切れもあったけど

そう、ナガオカケンメイ×小泉誠のトークショーを途中まで聞いた。
ナガオカケンメイさんは自分の店(D&DEPARTMENT)で、デザイナー自身が使っていないと判明したものは即売り場から撤去だと
・・・さすがだ
 

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2010年7月10日 (土)

「能の雅(エレガンス) 狂言の妙 (エスプリ)」展 ・・・もうNO!なんて言わない

原研哉さんも、深澤直人さんも、有名なデザイナー方々は日本の文化に詳しいですよね。
僕の好きな建築家・村野藤吾も和風をやったら最高だった・・・しかも創造的に進化をさせて。
若い頃は、西洋にカブレまくっていたけれど、年をとるにつれ、日本のことが知りたくなってきます。
というよりもこの避けられないグローバリゼーションの波動の中で、日本人というアイデンティティをどれだけもてているのかという不安さえ覚える。
まだまだ僕が知らない、そして知りたい日本の文化、その一つが能です。

ということで、サントリー美術館で開催中の「能の雅(エレガンス) 狂言の妙 (エスプリ)」展を見てきました。

能や狂言は興味は有りつつも、食わず嫌いでした。
僕のレベルとしては、NHKでたまにやってる能?狂言?(・・・判別すらできない)をしばらく眺めるも、意味不明で挫折。
といった程度。

今日解かった知識としてはこんな感じです・・・・
能も狂言の起源は、奈良時代に中国から伝わった散楽(さんがく) と、
豊作を祈る民俗芸能の田楽(でんがく)や、
物まねをする猿楽(猿楽)などが混ざり合って生まれたそうです。
その後、能は上流階級の娯楽として、狂言は庶民の娯楽として分かれていったと。
内容は能は悲観的なものが多く、狂言には笑いがある。

あとはよくわからないので、感じてきました。
能の装束は絢爛豪華、一方狂言のそれは質素。
能の羽織の模様は殆んど刺繍(・・・気の遠くなるようなスゴイ刺繍)だったり、
金の箔を貼っいたりまさに雅。
一方狂言の羽織の柄は庶民的な染めで、派手さもない。

面白かったのが、能の小道具。
和太鼓を載せる台や、車輪のついたリアカーみたいなものがあるのだけど、
竹細工みたいなもので輪郭だけを作ってある・・・。
つまりは、後ろが透け透け。
・・・今はもちろん使い回しだけど、その昔は毎回作っていたそうです。

道具や装置が少ないし、それらも仮設のようなものばかり。
あとは動きや仕草で表現するということのようです。
きっと場所を転々を移動していた名残が、そのまま形式となったんでしょうね。
でもこんな仮設のまま形式にしてしまうのって、どこか日本的な方法のように思えます。
西洋と違って威風堂々でなく、未来永劫といった感じではなく
どこか不安定で、アウトサイダーな感じが気になる。

最近は松岡正剛の弱さの考えや、網野善彦が描く日の当たらなかった歴史が気に入っているだけに
余計にそう思う

日本の芸能って、落語なんかもそうですが、少しの小道具だけで、色々なものを表現する。
前提を共有しているからこそなわけで、逆に言えばちょっと敷居が高いかな。
予備知識をもって能や狂言を観たらきっと奥深いんだろうなぁ。。。

少しずつ勉強してみよ。。。

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2010年7月 1日 (木)

逝きし世の面影・・・POST FOSSILへといざなうPRE FOSSILの江戸

POST FOSSIL展というのがあったことは前にブログで書いた。
それ以来POST FOSSILについて考えている。

POST FOSSILつまりは化石燃料時代の次・・・おそらくここにはポスト大量生産、ポスト環境汚染といった意味が込められているのだろう。これまでの消費構造、物質至上主義、金融至上主義を超えた時代こそがポストフォッシルの示すものなわけで。

日本史の中でも幕末から明治はとても人気がありますよね。
開国して文明開化で一気に近代化を進めて、そのおかげで経済大国とまで言われた今の日本がある…。

でもその日本は今大きく傾いてきていて、日本はどうなる?景気対策は?と不安感が拡がりと日々論争が起きている。
そんな今、読んでもらいたいおススメがあります・・・デザインの本ではないけれど。

その本とは、渡辺京二著『逝きし世の面影』です。

この本は、幕末から明治にかけてて来日した外国人よって残された日本に関する記述により構成されています。
読んでみると江戸時代のイメージ、日本のイメージが変わります。
外国人のレポートをまとめたものですので、そこに今後の日本がやるべきことなど書いていません。ですが、ここに描かれている江戸の生活習慣、考え方、労働、教育、社会、性差別、格差…には次なる時代にすべきヒントが沢山あるように思えます。

そして、この本でハッとさせられるのは、今の私たちの中の「西洋」です。日本の歴史の数多くは明治で断絶し、西洋ベースに書き換えられていて、その延長線上に私達はいる。
例えば、日本の社会は男尊女卑や女性の社会進出が遅れていると言われているけれど、これらは元々日本には無く、実は西洋化に伴い、組み込まれていったものだとわかる。他にも性と裸体についても日本には独特な考え方があったし、貧しくても不幸ではなかったとか。

日本人は西洋と違う考え方ができる。例えば、世界では「安さ=粗悪」が常識の中、安くても良いものを作る日本人。子供と大人の境界があまりないとか・・・。親は叱らず奔放に育てているのに礼儀正しい日本の子ども。
崇高な愛という概念を掲げなくとも、家族愛や子への愛情があった日本。

一番ガツンとやられたのは、西洋の人が驚くほどに、日本人ほど陽気で自由だったということ。陽気で笑いが絶えなかった人々が、いつからこんなにメランコニーになってしまったのだろうか。

F.A.ハイエクは共有する前提つまりは習慣や文化が多ければ多いほど、そこにいる人々の感じる自由は大きくなるといっていた。このことを読んだ時、日本にこそ自由の国となる条件が揃っているのではないかと思ったけれど、既に江戸時代後期はそんな社会だったわけだ。

具体的なPOST FOSSILを描くことはできないけれど、PRE FOSSILを覗くことは大きな教訓を与えてくれると思う。
おススメの一冊です。

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2010年5月 1日 (土)

色々ウツろう言葉咲くイメージ

 もう旬は過ぎてしまったけど、春になると桜の物が色々と出てくる。 桜餅も好きだし、今年ハマったものはスターバックスの期間限定の桜クリームフラペチーノ。桜のかほる食べ物はなんともホッと咲かせてくれる、否、させてくれる。
 先日行った、"はるは"さんのイベントでも桜というのが一つのモチーフになっていた。

桜色は美しい、あの白色に限りなく微かに生命が宿ったような色相がなんともいえない。桜色といえば、桜鼠という名の色があることを知って、それはまるでロミオなジュリエット色というか豚な真珠色のような気がする。最近は鼠色という呼び方はとダサい?イケてない?のか灰色とも言うけどもっぱらグレーという。 たしかにミッキーマウスは例外として鼠はあまりイメージが良くない。鼠がつく言葉はイメージが良くないものばかり、ねずみ講、ドブネズミ、そして鼠小僧に鼠男、大体そんなところだろう。 でもこの鼠色、日本の色としてはまずまずな位置を占めているようなのです、むしろ"いき"な色らしい。桜鼠、藤鼠、梅鼠、利休鼠、鳩羽鼠・・・。鼠色は江戸時代になってからできたもので、先にいくつか挙げたような鼠色の変相色は江戸の中期あたりに出てきて、明治あたりまで"いき"な色として好まれたようだ。 他に色の名称にでてくる生物の名前は狐、鳶、海老、鳥の子、雀、鶯、虫、鳩・・・実は溝鼠(どぶねずみ)という色もある。その名は今ひとつではあるけれど、日本人の感性には鼠が一番合っているかもしれない。その鼠によって鈍く霞んだ色は、明かりと影の間のうつろいの一瞬を切り取ったようなものだ。すると桜も鼠も儚き一瞬という意味では繋がっている。        

   白波の立ち寄りて折る桜花 (弁内侍)

   散らしかけて逃ぐべかりける (二条為氏)

弁内侍は女流歌人、二条為氏は貴族の歌人。 時は鎌倉時代、御嵯峨院が御幸(外出)する時のこと、御車と入れ替わるように為氏が御供に参った。 ちょうど桜が咲いていて、為氏が桜を折った。それを御嵯峨院が見ていて、お車に同乗させていた弁内侍に、為氏に連歌を仕掛けるよう命じた。 それが上記の句。 白波とは、白波五人男という盗賊のこと、歌舞伎では石川五右衛門や鼠小僧とともに三大悪党の一組。 為氏は白波と桜に散らしかけてと返したわけです。 詩や俳句でさえ、大したことも知らないのだけど、連歌はおもしろい。 何が面白いかって、他者との共作であることと、そのことで先の読めない意外性がある。それ故に、詩や短歌と異なりイメージが移ろうようなものがある。 前の人がどんな句を読むかわからない中で、連歌師は高度に言葉を紡ぐ。 落語や桑田圭祐の歌詞もすごいけど、それもこれも日本の文化史に連歌のような遺伝子があればこそ。 連歌は和歌の五・七・五・七・七を 五・七・五の上句と七・七の下句に分け、それを順番に詠む。 (五・七・五)+(七・七)に分けて二人で詠む短連歌や、 (五・七・五)+(七・七)+(五・七・五)+(七・七)+(五・七・五)+(七・七)+・・・ と50や100と続ける長連歌がある。中世に流行り江戸時代あたりまでは続いたようなのだけど、今では幻の文芸になってしまった。
連歌は二人以上で行われる、であればこそ、起きる予期せぬものがある。 ある宗匠が発句(最初の句)をこう詠んだ。

  新しく作りたてたる薬師寺かな

天才連歌師宗祗が付句にてこう応じた。

  物光る露の白玉

宗匠は宗祇に言う、「文字が二つ不足している」と 実は、こういうことになっていた。

  新しく作りたてたる薬師寺 "かな"物(=金物)光る露の白玉

宗祇は、あなたの字あまりを私が直して差し上げました、そんな感じなわけで。 長連歌になると、 長い故にルールやテーマを課して会を催すこともあった。 始めの文字を、イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト・・・の順で使用しなければならないとか、句のどこかに万葉集の歌人の名を入れ込まねばならないとか。 そんな縛りの中で言葉とイメージがゆらりと変化していくのが連歌のすごさ。 まだまだ全然わからない世界なので良い句を沢山紹介できないのは残念。

 言葉の組み合わせが生み出すものも素晴らしいけど、一つの言葉について踏み込んでみると、今に至るまでに変化したもの、削がれたものがあらわれ、そこには時間や奥行きがあることを知る。
長連歌の最初の句を発句と言うことは先に書いた通り。 一方、最後の句は、挙句という。そう、挙句の果てのアゲク。
桜はサ・クラでサは神をのことで、クラは蔵。春という季節は、山から神が下りてきて、一度桜で安息し、夏から秋にかけて平野を駆け巡り実りをもたらす。桜はそんな樹なのである。
言葉はその文字という表象があって、意味がある。その表象と意味は必ずやセットではなく、互いにスライドしながらズレを起こしながら、時には離れ、あわさる。 だからオモシロイ。
そうこのオモシロイ・・・漢字で書けば面白い。漢字の通り、目の前が真っ白になっている事をさしました。例えば、陽が燦々と注ぐような状況であったり、滝つぼ一面に舞い上がるしぶきや、雪景色。
いまでも言葉をすぐに略すけど、鮨を「す文字」のように言う習慣があった、食べ物が無くて空腹に耐えることを「ひもじい」というが、これは「空腹で"ひだるい"」というときの「ひだるい」の頭文字を取って「ひ文字」といったところから「ひもじい」が一般化した。
女性が変えた言葉もある。おいしいは元々"いしい"であったところを、女性が丁寧に「"お"いしい」としたところ、それが一般的になったもの。また、「○○です。」といつも使っている、この「です」は最初遊女がつかっていて、それが山の手の富裕層に広がり一般化していった。
文化や風習を垣間見ることもできる。 祝うとは、そもそも斎う(いわう)つまり祈ることだった。重大な出来事の時は祈る。この祈る時の中で良い出来事についてだけが残り、今の祝うと同じになった。
サチという言葉、幸つまり幸福の意で使われたり、海の幸、山の幸とうように食物の意味でも用いられる。確かに、食物があれば幸せなのだからその語源が同じというのは納得。ではそもそもサチは何かといえば矢尻をさしていた。そう狩猟の時の矢尻である。この矢尻が食物と幸せを運んでくれということ
オトウト、イモウトも面白い。その昔、奈良平安よりも前のこと、男女共に同性の自分より上の下の兄弟をエ、下の兄弟をオトといった。つまりエには上とか優れたという意味があり、オトは劣るの語源で下という意味もあった。一方、男が女の兄弟(つまり姉妹)を呼ぶ時「イモ」といい、女が男兄弟を呼ぶ時には「セ」といった。更にいえば、男が恋人や結婚相手を呼ぶ時も「イモ」といい、女が恋人や夫を呼ぶ時も「セ」といった。わかりにくいかもしれないけど簡単なこと、要するに奈良時代より前までは近親婚が当然のように行われていたということ。妹という漢字の音読みはセとイモでその名残がある。
日本語には緊張感があって、ある一線を越えると、意味が全く逆になることがある。 御前→オマエ! 貴様→キサマ! 極めつけは、 あはれ→アッパレ 天晴れだけが一人歩きをしてしまっているけれど、これはとても儚い言葉だ。武士が華々しさを極めた戦国の世。勝てば栄誉、負ければ哀れな死があり、武士は常にその境に立っている。天晴れとは哀れ表裏をなす、そんな武士を讃える言葉のなのだ。

桜の美しさ、それはまさに天晴れというにふさわしい。 言葉のことまだまだ知りたいこと、書きたいことがある。どのうち続編を・・・。

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2010年2月11日 (木)

デザインなどについて

最近、ナガオカケンメイ、柳宗理、松岡正剛を畳み掛けるように読んで、思ったこと。
良いデザインの概念あまり変わらないけど、時代背景の変化とともに、重要視されるものが変わる。
すると選定基準は変わっていく。

ナガオカケンメイのロングライフデザイン・・・永く飽きずに、思いをもって使えるもの
柳宗理の日本版バウハウスというか、使いやすさや生産性という合理性を備え且つ民藝的な要素をもつデザインのあり方

日本のデザインとものづくりはこういう感じだよなと思って、松岡正剛の本を読むと一気に相対化され、未来が見えてきたように思えた。

バウハウスは手工業から大量生産へと移行する中での実験だったけど、これからは工業的な方法を超えた上での手工業とは何かという試みる時代になるのでは…
そう思った。

特に装飾を排することがなされてきたけど、ここには大量生産を前提とした部分がある。でも装飾とは装飾性の中の文化、 歴史、感情といったものの積み重ねであったわけで、だからこそ装飾の復活するかもって思う。もちろん無駄な過剰な装飾は言語道断。
だから合理性を超えた装飾といってもポストモダンみたいなのをイメージしないでね。あれは合理性茶化しであり、言葉遊びのコラージュ。
もっと人の気持ちとつながっているようなナチュラルなもの文章力なくてだいぶいい加減な表現ですが…

柄とか模様とかの注目度があがるのでは…と思う。
そういった中に、これから大切にしなければならないものの多くがある。
僕らは置き去りにしてしまっている。

SIMPLEさ、特に男性は好む…思考が合理的だから。
SIMPLEなものは売れるし、調和しやすいし、共感されやすい。
でもこれからは、なぜSIMPLE?と考えてみることも必要。
考えた末のSIMPLEなのか、単なる安易な同意のSIMPLEなのか
ものづくりをする人は頭の片隅に入れておく必要がありそうだ。

日本の文化・歴史について学ぶことは重要だと前々から思っていたけど、何かその核心がなかった。
自分に関わることとしては、モノづくりにいかせるだろう…くらいにしか思っていなかった。
だからすぐ行き詰ることが多かった。
今回、松岡正剛さんの本を読んで、この意味の大きさに気付かされた。
政治や経済の考え方が人や国を動かすように、文化・歴史について知ること伝えることも人を前進させる。
世界経済の流れから逃れることはできないかもしれないけど、これまでマネーのスケールで考えていたことをもう一度細分化することに皆の幸せがある。
その舵取りは皆でしなければならない。それには日本のことを知る、身近な地域のことを知る…それしかない。
決して共感されやすいことではないから、楽しいことではない。
でもその先に光を感じます。

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