2010年7月 1日 (木)

逝きし世の面影・・・POST FOSSILへといざなうPRE FOSSILの江戸

POST FOSSIL展というのがあったことは前にブログで書いた。
それ以来POST FOSSILについて考えている。

POST FOSSILつまりは化石燃料時代の次・・・おそらくここにはポスト大量生産、ポスト環境汚染といった意味が込められているのだろう。これまでの消費構造、物質至上主義、金融至上主義を超えた時代こそがポストフォッシルの示すものなわけで。

日本史の中でも幕末から明治はとても人気がありますよね。
開国して文明開化で一気に近代化を進めて、そのおかげで経済大国とまで言われた今の日本がある…。

でもその日本は今大きく傾いてきていて、日本はどうなる?景気対策は?と不安感が拡がりと日々論争が起きている。
そんな今、読んでもらいたいおススメがあります・・・デザインの本ではないけれど。

その本とは、渡辺京二著『逝きし世の面影』です。

この本は、幕末から明治にかけてて来日した外国人よって残された日本に関する記述により構成されています。
読んでみると江戸時代のイメージ、日本のイメージが変わります。
外国人のレポートをまとめたものですので、そこに今後の日本がやるべきことなど書いていません。ですが、ここに描かれている江戸の生活習慣、考え方、労働、教育、社会、性差別、格差…には次なる時代にすべきヒントが沢山あるように思えます。

そして、この本でハッとさせられるのは、今の私たちの中の「西洋」です。日本の歴史の数多くは明治で断絶し、西洋ベースに書き換えられていて、その延長線上に私達はいる。
例えば、日本の社会は男尊女卑や女性の社会進出が遅れていると言われているけれど、これらは元々日本には無く、実は西洋化に伴い、組み込まれていったものだとわかる。他にも性と裸体についても日本には独特な考え方があったし、貧しくても不幸ではなかったとか。

日本人は西洋と違う考え方ができる。例えば、世界では「安さ=粗悪」が常識の中、安くても良いものを作る日本人。子供と大人の境界があまりないとか・・・。親は叱らず奔放に育てているのに礼儀正しい日本の子ども。
崇高な愛という概念を掲げなくとも、家族愛や子への愛情があった日本。

一番ガツンとやられたのは、西洋の人が驚くほどに、日本人ほど陽気で自由だったということ。陽気で笑いが絶えなかった人々が、いつからこんなにメランコニーになってしまったのだろうか。

F.A.ハイエクは共有する前提つまりは習慣や文化が多ければ多いほど、そこにいる人々の感じる自由は大きくなるといっていた。このことを読んだ時、日本にこそ自由の国となる条件が揃っているのではないかと思ったけれど、既に江戸時代後期はそんな社会だったわけだ。

具体的なPOST FOSSILを描くことはできないけれど、PRE FOSSILを覗くことは大きな教訓を与えてくれると思う。
おススメの一冊です。

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2010年5月23日 (日)

悲観が彼岸では、ひがみしか生まれない・・・幸福について批判的なぼやき

何が幸せなのかと考えた時、その現実として経済について避けて通れないと思う。だからここ数年経済についての関心が強くなっている。ただ知れば知るほど思うことは、根本を問い直さなければならないということ。というか、世の中は根本を問うことを避けている・・・むしろ目を向けさせないようにしている。
知らせたくないことは知らせない記者クラブ、お金をもらって偏った意見を述べる政治や経済のコメンテーター、意味の無い街頭インタビューやグラフをで編集されたテレビ番組・・・。残念ながら中国や北朝鮮は馬鹿にしながら日本のマスメディアを信用している人が大多数。テレビを見て政治通を気取る人、鳩山首相をダメ呼ばわりする人、社民党を指して大人な事情なんだから黙ってろみたいに言う人、いまになっても小泉元首相を讃える人。
世間話から政治の話になると、お前は民主党派だなと(人によってはまるでジャイアンツファンだねみたいに)言われるけれど、そうではなくて今の政党で政治家で誰が真剣に取り組んでいるか、ただそれだけ。

僕は政治や経済のことについてブログでは少ししか書かなかった。それはその分野にすごく通じているわけではないし、だからどれくらいバランスを持った考えである全然自信がないからだ。
そしてもうひとつ、政治や経済の事実を知れば知るほど、暗く厳しい現実があり、あまりにも無力に思えてくるから。
社会学者バウマンの本を読んでいたら、現代社会は幸せになれるかもしれないと思えている間が幸せ、夢を追えている間が幸せ、と書いてあった。これはかなりキレる指摘だと思った。今はまだかろうじて物が買えている、地デジにハイブリッドや電気自動車に、iPadに、ロハスに・・・そんな夢を見ていられる。今の日本でこれ以上貧困化が進み、ものが買えなくなったとき、どれだけの人が幸せを感じなくなってしまうのだろう。わが自殺大国、自ら命を絶つ人は経済的な理由が一番なのだから・・・。
もちろんモノだけではない。気持ちの問題でもそうだ、夢を実現した人がスゴイ人のような幸福の像は誰もが持っているかもしれない、でもそれは空虚でしかない。何にせよ、幸せであるためにしがみついて生きていかなければならない。幸せであるために、幸せに追われる生き方。
GWは家にいることが多かったので、いつもよりテレビを見て思ったことがある。これはたまたまなのか、僕の主観的なもので気のせいかもしれないけど、芸能人の苦労話、挫折を克服した話がいくつかの番組で見かけた。もしこういったプログラムが増えたのだとすれば、かなり良くない。不安を煽って視聴率をあげるなんてことよりも良くない。挫折克服を芸能人のような成功者(少なくとも番組内では)が話すということは、視聴者に希望をもたらすという意味では否定しないし、実際再起のきっかけを掴む人も僅かにはいると思う。でも安易にこういった番組を増やすことで、苦労に耐えるということが刷り込まれる・・・現代版の欲しがりません勝までは。日本人は真面目で、耐えるということに美徳を持つくらいだから、その影響はなおさらだ。今は空虚な幸福で視聴率をとる為かもしれないけど、今後貧困化が進めば政策的にこの手の番組は増えるだろう。

自由と不自由どっちがいいの?自由でしょ?じゃあ、自由な仕組みにするからついてきなさい。
皆の気持ちはモヤモヤしている。けど、どんな自由なの?とは質問させてもらえない。
ケインズ主義かマネタリズムかしか選択肢を示さない。
資本主義と民主主義に勝るものは無いんだ、世界は成長し続けるんだ、われわれ人類はこれからもやり遂げるんだ
そんな空気をいつまで漂わせるのか、成長ってなんなのか。
今は経済を中心に政治や社会が語られる、でもそもそも経済はより良い社会への手段であった。なのに今はその手段が目的となってしまった。
理性は間違う、それをわかっているようでわかっていない。経済学は予測にしか過ぎないから間違うことはわかっている、けれどその法則には従わなければならないような、どこか気持ちの悪い怪物だ。疑うということは気持ちのよいものではないし疲れる。でもそれは何故か、何なのかと厳しい視線が今は必要になってしまった。
バウマンの言うように今の社会は幸福を求める故に、実は幸福に追い回されている。だからまずは知らぬふりをやめ、悲観的なことも全て受け止め、その上で今をどれだけ懸命に生きられるか、それしかないと思う。

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2010年3月26日 (金)

自分をいかして生きる

「自分をいかして生きる」という本を紹介します。

タイトルを見ると自己啓発本みたいですが、違います。
自分の好きなことして、稼いで、幸せになろう・・・みたいなことは書いてありません。
僕なりの言い方させてもらえば、「生き方を問う」本です。

著者は西村佳哲さん。前作の「自分の仕事を作る」が良い本でしかもナガオカケンメイさんが薦めているので本書も読もうと思いました。
その前作ではデザイナーなどのクリエイティブな職種の人に取材をして、受身の仕事ではなく自分なりの問題意識で自分なりの仕事をどうっていけばよいか、というようなことが書かれています。
僕はこの前作をダメダメなサラリーマンをやっている時に読んでいます。本屋で救いを求めるように購入して読んだものの、書かれているのがそもそもクリエイティブな職種の方々であったので、単なるサラリーマンには参考にならないな・・・みたいな気持ちで読み終えたと記憶してます。もちろん西村さんの意図は違いますよ・・・むしろ逆でフリーでクリエイティブの最前線にいるという過酷な状況の人たちが実践している仕事のエッセンスこそ、普遍的で皆のヒントになるから書かれたわけです。

では「自分をいかして生きる」について。
今の世の中、書店に行って本のタイトルを眺めれば一目瞭然ですが、結果ばかりに囚われています。そのためのhow to 本や成功、仕事、生き方についての本・・・、できるだけ知識や技術をすぐに、簡単に学びたい・・・、目標管理やどうアピールするか・・・、こういった類の本がものすごく多い。
その求められる結果とは、言うまでもなく"金儲け"につながっているわけです。金儲けとは汚い言い方ですが、働かざるもの食うべからずという道徳観と相まって、経済的な視点から仕事や生きがいを考える面が強すぎるように思えます。
そんな昨今に対し、西村さんは疑問を呈したのがこの本です。人は「気持ちがあって、思考して、行動して、結果が出る」という順番でものごとを進めていく、それなのに今は「行動して、結果が出る」ところしか気にしなくなっている。「気持ちがあって、思考して」という段階をまるで無意味かのように扱い、そんな暇もないように急かしまくる。
西村さんはこの思考するその前の段階言葉にならない気持ちのような部分こそ重要だといっています。

そういった気持ちや思考を大切にした生き方とは何か、それはプロセスを重要とする生き方です。
本書に自動車デザイナー、家電のデザイナーを経て蕎麦職人をやっている加藤晴之の言葉があります。
「やりたいことが見つからないとか、面白くないということがあってもどの瞬間でも、その中で一番やりたいこ とは多分ある。今どうしたいか、ということ。それをやってゆくと何か見つかってくるんじゃないか」
プロセスを大切にするというのはこういう生き方です。

そういえば僕が学生の頃研究した建築家村野藤吾も「現在主義」という独自のイズムを掲げていました。
そんな村野さんの作風は一貫性の無さが指摘されることもありますが、そうではなく時代や環境によって、また変わりゆく気持ち村野さんの気持ちをその瞬間瞬間に精一杯表現したものでした。

人は終わりや目標がないと不安です。でもその時々を一生懸命に生きていくことが大切です。
あとがきで西村さんも言っていますが、自分がこの世に生を受けたことをどれだけ感謝して、自分をいかすか、これこそが生きがいなのだと思います。

新年度が始まります。こんな本を読むことも、遠回りなようで近道かもしれません。

ではまた

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2009年10月24日 (土)

ケインズとハイエク

この本を読んだのはト-マス・ウッズの『メルトダウン』という本を読んだ時に、オーストリア学派の考え方がなるほど~と思えたからです。

オーストリア学派は以前『エンデの遺言』で扱われており、またシルビオ・ゲゼルが研究した地域通貨について興味を持ったことがあり。
何かこの先の経済のヒントがそこにはあるんじゃないかと考えています。
さてこの本で、何がなるほどだったかといえば、景気を良くする、若しくは不景気のをくい止める為に政府が介入すること・・・実はこの策を講じれば講ずるほどに景気を悪化させてしまうというもの。簡単に言うと、自然にまかせるのが一番。
な ぜかといえば生物と同じで、企業も実力がなかったり、適応能力がなければ潰れるべき。もともと潰れる要素のある企業に融資などしても結局倒産することが多 いし、延命すればするほど傷は大きくなり倒産時の社会的な ショックも大きくなってしまうことが多い。こういった景気対策の例として、1930年代に米国ルーズベルト政権下で行われたニューディール政策 (・・・これは世界恐慌から脱するために、公共事業に中心に行われた経済政策。、オバマのグリーン・ニューディールという政策のルーズベルト大統領が行っ たニューディール政策を再び!というもの)がある。これは政府が公共投資して助けてやるぞ!ということだったわけだけど、結果的にニューディールで景気は よくならず、後の朝鮮戦争が好況を生み出しました。。
余談ですが、このニューディール政策・・・当時ソ連がものすごい成長をしてきた為、米国内でも社会主義勢力が大きくなりそれを抑える為に行われたという裏があるそうです。
もっ と身近な事例としては、バブル後の日本はなぜ10年以上もの間不景気が続いたのか?も納得の説明ができてしまいます。日本の場合は、ダラダラと延命措置が 続けられ、本来淘汰されるべき崖っぷちの企業がいつまでたっても生き延びた。結局崖っぷち企業の多くが倒産していくのだけど、順繰りとパタリパタリと長引 き、いつまでたっても毒出しが終わらず景気が底を着かないという状態がが延々と続いた為なのだそうです。

グ リーン・ニューディールは環境問題を解決しながら関連産業を中心に支援し、景気や雇用を回復していこうというものですが、同じように日本も景気が悪くなる と政府が公共投資せよと言う論調が強くなります。これは公共投資をすれば、社会にお金が回り結果的に投資額の何倍も の経済効果を生む為、多くの人が助けられるという話で、ケインズという経済学者が示したものです。(この辺りに興味のある方は小室直樹さんの経済の本をお ススメします。)なので、景気が悪くなると財政出動だ!今こそケインズだ!の合唱が起きるのです。ケインズは無駄な公共投資はすべきでないと言っています が、その辺は吹っ 飛ばされて「ケインズ=公共投資」みたいになっているのです。
少し話がわかりにくくなっています が、要はケインズは大きな政府というか政府がきっちりと計画的(社会主義という意味でなく資本主義の範疇で)な政策を行うべしという人です。ケインズの生 きた時代は世界経済が荒れていた20世紀初頭ですからそういった背景で政府がきちんと枠組みを作っていくというのはそれで至極当然ともいえます。

一方で、小さな政府を唱える人たちがいます。大きな組織は権力を生むし、効率的でないのだから政府は最低限のルール作りをすればよい。そういった考え方の 筆頭格に上げられるのがハイエクです。そもそも人間の理性で考えられる範囲には限界があり、計画的なことをしたとしてもそれはあまり意味がないという考え 方です。ただハイエクは理性と違うもう一つの人間の能力、倫理性を信じています。古い考え方といえば古いかもしれません。
古典派経済では「見えざる手」が経済を動かすので、どうしようもないとよく言われます。このとき「見えざる手=欲望」のように言われますが、古典派経済の 時代には「見えざる手=(欲望+倫理・道徳)」だったこと忘れてはいけません。その後暗黙の了解だった倫理・道徳の部分はどんどん縮小していったのは皆様 のご承知の通り。だからハイエクはあえてそういった部分を言うわけです。

この『ケインズとハイエク』は自由について2人の経済学者のフィルターを通して自由とは何かを問うた本です。
著 者の間宮氏は、全く異なる自由を掲げる2人だけれど通底するものがあり、2人には現状の自由に対する共通する認識があった。それは自由というものが自由と 行くもので内側から瓦解してきているというもの。そして2人は違った方面から自由について考えた。ケインズは乱れた社会にから自由を護る為に画的な経済の 策を考え、ハイエクは仕組みで縛らず、人それぞれの内側に倫理的な部分こそ大切であると、精神的や哲学的なところから考える。

長々書いているけど、本題はここから。
なるほどと思った記述があった。
自由には「消極的な自由」と「積極的な自由」があるということ。前者は不自由なことを挙げて、そのコントラストで自由を描く、一方後者は「俺たちの自由は☆☆だ〜!この自由を勝ち取るぞ〜」みたいな感じ。ハイエクの自由はこの「消極的な自由」。
消 極的という言葉にあまり良いイメージを持たないかもしれませんが、ちょいとお待ちを。気持ちを落ち着かせてイメージしてみてください…スポットライトをあ てたような「これが自由だ!という自由」はありえるのか。自由か不自由かみたいな世界観そのものが不自由なのではないでしょうか?
つまりは消極的な自由というのは自然な考え方なのです。

以 前に神を直接定義することはできないと書きました。神はというかそもそも言葉は相関関係の相互依存によって成り立つわけで、例え黒色といったって宇宙飛行 士毛利衛さんの話では、宇宙の黒色は地上の黒より黒いそうですし。だから自由もそう、定義はできない。定義するとすれば、それは誰かの考え方が作り出した 積極的な自由。
確かに積極的な自由というものに人びとはひきつけられることもある。でも、自由も定義してしまうことで 影が生じる。それは小さな部分では完結した自由であって、全体を考えた時にはその小さな部分の利己的な自由でしかなく、必ず外界をを排斥することとなり、 いずれそこに争いが生まれてしまう。全ての人にとっての自由は定義できないけど、消極的な自由の中にずべての人にとっての自由がある。ハイエクの考える自 由はそんな自由。

そしてふとつながったのが、消費について。同じように「消極的な 消費」と「積極的な消費」ということがいえる。前者は買わなきゃいけないから買う、若しくは買う必要がないから買わないという消費。一方後者は、必要の有 無に関わらずとにかく買う。欲しいと思ったら買っちゃう、買わされちゃうということ。ピンと来なかった人も消費の場合を考えるとこの消極的な○○という考 え方を理解してもらえると思う。と同時にこの消極的という考え方は極々自然なものであることもわかると思う。
モノを買わなくなって、経済が落ち込んでという言い方は根本的に間違っていると思う。バブルのような積極的な消費の幻想をいい加減に忘れた方がよい。不況不況と言われながらも、必要なものとは別に心を満たすものであれば高価なものでも売れている事実もあるわけで。
消極的な選択というと後ろ向きなイメージを持つかもしれないけれど、買い物なら必要な状況に迫られているから買う、という動機に自然と納得しながら、その 時の買い物を自分なりの満足を得るカタチで行われれば良いと思うのです。この自然な形で社会の経済が循環していくことが皆の幸福につながっていくのではな いかと思います。

『幸福の方程式』の紹介をした時に、最後の最後に書いて消したのだけど、やっぱり書く。
よく、意味のない仕事はない。無駄な仕事はないと言われる。はて本当にそうなのか?
幸福の5大要素を満たすのが仕事であると『幸福の方程式』には書いてあった。確かにその通り。だけどなぜ仕事で苦しむ人がいるこんなにいるのか、悩む人がこんなにいるのか。
言ってしまえば無駄な仕事、意味のない仕事があるからだと思う。売らなくていいものを売る仕事。なくてもいいサービスをする仕事。その仕事すべてが無駄と 言い切れるものは少ないかもしれないけれど、仕事の中そういった意味のない部分は多分にある。多く仕事人たちは、それをわかりながら働かざるを得ない人々 がとても多いと思う。だからと言って仕事をどうのこうのとはいわないけど無駄なもののが溢れる世の中では、実質無駄な企業は多いはず。

こういったことを踏まえてこの先を考える。また、自分が何を作っていくかと考える。
本当に必要とされっるものを作ること・・・というより、必要なものがあるときそこに僕の作るものが目に留まる。
あ、いいな。これにしよう。
そんな感じで自然と手にとってもらえるようなものを。


エンデの遺言―「根源からお金を問うこと」自由地と自由貨幣による自然的経済秩序

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2009年10月16日 (金)

シンプル族の反乱

シンプル族の反乱
先日、久々に服を買いました。
・・・ユニクロで冬支度。4足で1000円の靴下とヒートテック3枚。

『幸福の方程式』に続き、『シンプル族の反乱』三浦展・著を読みました。
こちらも新たな消費動向を探る内容です。

三浦展という人はマーケティング畑の人で、特に若い人の流行を長年追い続けている人です。
『幸福の方程式』が人の心理的な部分に重点が置かれているに対して、こちらは今起きている現象を観察している感じ。
この2冊を読み合わせることで、より立体的な理解ができると思います。

ブランド品でなく無印やユニクロを買ったり、自然で素朴なものを好んだり、そんな若者たち・・・シンプル族。
年齢層としては20代から30代前半。特に女性に多いそうで、デパートが売れなくなった原因の一つだそうです。

高 度成長期やバブルを味わった世代は物質への執着、つまり『幸福の方程式』にも出ていましたが、物を通して幸福を見る傾向にある。その一方で、このシンプル 族世代というのは情報が多いこと、ブランドが乱立して、流行がめまぐるしく変わることに慣れてきた世代だと思います。祭りのような好景気を味わったことも なく、ブランドや流行がすぐに消費されてしまうということを目の当たりにしながら育ってきた。シンプル族は状況は所得が減ってきたから・・・という理由だ けではなく、所得に関わらない傾向だという理由はその辺りにあるのだと思います。

シンプル族も商品のストーリーにこだわったりします。ただ、これまでのブランドとは違ったストーリーです。
山形の○○さんが作った野菜、職人の○○さんが作ったグラス・・・のように現実にある「誰かの思い」とつながっています。
また、古いものや文化的なものにも関心を持ちます。アンティークや骨董品が好きだったり、和風に興味があったり、古着やおさがりに抵抗を感じない。
現実に時間をかけて積層されたものを好むのです。シーズンごとにコレクションテーマとして架空のストーリーを設定するファッションブランドとは対照的です。

彼らが好むユニクロや無印にはそんなストーリーはないじゃないか!と思われるかもしれません。

そうではなくてこちらは自分色に染められることが重要なんです。
著者は「素材」と言っています。
無印もユニクロもそれなりの品質でしっかりしたものづくりをしている。
無印は衣類も家電も雑貨もその物として無駄を省き、使いやすさを追求するというその物自体へのこだわりを形にする。
一方のユニクロは衣服の持つ基本的な機能を身体を包む、保温するなどを追求したり、多色展開をしたり。ユニクロは絵を描くときの画用紙や絵の具みたいなもんじゃないでしょうか。

自分というストーリーを作る上で如何に使いやすい「素材」であるか
自分のストーリを完成させる為の素材としてならば、安くて扱いやすいニュートラルなものがいい。
そういった考えなのです。

appleの商品名の前に「i」のついたものがあります。iMac、iPhone、iPod。
これらはinformationの「i」というよりも、「私のi」なのだそうです。
I amであり、I createであり、I expressであり。
iMacは、初期状態でWEBで自己表現するために必要なものが入ってたり
iPhoneは、好きなアプリを何時でもどこでも、欲しい情報も何時でもどこでも
iPodは、好きな音楽を満載

これからは、
必要なものを買うときにどれだけの幸福を絡められるか

というのが大切になってくるということです。

そのためには売り手と買い手が如何密接に関われるか

『幸福の方程式』でも『シンプル族の反乱』でも、若者が人とのつながりを求めていることがかかれております。
人とのつながり、社会とのつながりを持とうとすることはとてもよいことですから、この先の明るい兆しの一つのようにも受け取れます。
でも、果たしてそうなのか。今は昔の社会ほど強制されるようなつながりはなく、より自分都合で人とつながることができるわけです。

世の中は所得が減り、経済的な面での行き詰まりました。
ただ人と人とのつながりの歪みについては行き詰っていない。
だからもう一度そこで何か変化があるのではないかと思います。

ただいまやるべきなのは、
消費の中でどれだけ人の役に立てるか、幸福を与えられるか
それを愚直にやっていくこと
ベタですが、それしかないと思います。

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2009年10月 3日 (土)

幸福の方程式

とても良い本があったので、紹介しますね。
『幸福の方程式』
山田昌弘+電通チームハピネス

不景気!不景気!
モノが売れない売れない!
お金もないない!

って言ってる間があるなら
考えてる間があるなら
早速本屋へ行くか、送料無料キャンペーン中のAmazonでクリックしてこの本を買って読んでみて欲しい。

まず全てのひとに
 消費者として
 働く者として、
 また人生について
 幸せについて
考えるために読んで欲しいし

商売をしている人、仕様としている人、ビジネスで何か企画している人
には何かしらの手がかりとなるはず

なるほど~と考えさせられ
自分を重ねてドキッとし
これからの自分について、社会について示唆も与えられて

この内容で、この価格で、読みやすい厚さで・・・
おススメ!

この本の何が素晴らしいかというと、
誰もが抱える幸福とお金と仕事の問題について、
こんなに明解に、消費という現実に近いところから書かれていることです。
幸福とお金についてはよく精神的な面から語られますよね。それはそれで大切なことですが、この本では日々行っている消費という活動で自らをなぞらえて考えrことができます。

ちなみに著者の社会学者山田昌弘はパラサイト・シングル、格差社会、婚活という言葉を作った方です。

では内容について簡単に・・・

「商品そのものを買っていたのではなく、その商品を買うことによって、それがもたらすであろう幸福を買っていた。」
(幸福の方程式より)

戦後の消費は経済が成長するにつれてどんどん伸びていきます。
皆がモノを買うことに幸せ、喜びを感じてきました。
『商品の消費=幸せ』

戦後の第一段階・・・家族消費の時代
洗濯機を買う・・・便利になる
車を買う・・・家族で遠くへいける 
その商品を手に入れることで生活が豊かになり、そこに幸福を見る

戦後の第二段階・・・ブランド消費の時代
その後成長を続け、モノがどんどん溢れ、80年代に絶頂を迎えます。
すると世の中がより個人、個性へと向かう中、ストーリー性が重要になってくる。
ブランド品という幸福そうなストーリーをもったモノを買うことで、幸福を手に入れたような気になる。

そして今、ブランド消費が霞んできた。
今、人びとの収入が減っていく中で、本当の幸福に近いところでの消費にシフトしている。
フィクションの幸福はサヨウナラ・・・・

マーケティングが意味をなさなくなっているのも同じように考えられます。
従来は、商品⇒属性⇒機能的価値⇒情緒的価値⇒価値観(幸福)
というようにまず商品があって、その商品を購入することでどんな幸福が手に入るか、でした。ですから、その商品から見えてくる価値観(幸福)が支持されたものが売れたわけで、その商品ありきでのマーケティングが可能でした。
しかしもはや最近は、価値観(幸福)⇒情緒的価値⇒機能的価値⇒属性⇒商品
と逆になってしまったのです。例えば、人に認められたいからお洒落をしている人がいたら、お洒落はユニクロで安く抑えて残りをボランティアの活動資金にしたり。

本書の中で幸福の物語として3つパターンを挙げられていて、

① 自分を極めるという物語・・・個人-個人の内的感覚
② 社会に貢献するという物語・・・個人-社会
③ 人間関係の中にある物語・・・個人-個人

それぞれの物語の中で生まれつつある幸福の消費活動が紹介されている。
また、幸福の5大要素が

① 時間密度・・・夢中になれる、やりがいを感じる時間
② 手ごたえ実感
③ 自尊心・・・自分を肯定すること、自信を持つこと
④ 承認・・・他者から認められること
⑤ 裁量の自由

なのだそうです。
そしてこの5大要素を満たすものがあり、それがなんと「仕事」。
例えば、生きがいのために年金を注ぎ込んでまで家業を続ける人がいるそうです。
本来、仕事にはそれくらい幸福があるのです。

さわりしか紹介していませんが、詳しくは是非手にとって頂けたらと思います。
読み手それぞれの立場で、役割の中で、得られるものがあると思います。

何度も言いますが、この秋必読の書!

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2009年10月 2日 (金)

自分の生活をチェックする

自己啓発本・・・これは好き嫌いのあるジャンルだと思います。
食わず嫌いの方も多いと思います。
気持ちの弱い人が読む本という偏見もあるようです。
また、良書もたくさんありますが、おかしな本がとても多いからだと思います。
おかしな本とは儲けるためだけに書かれた本ということです。
あなたならできる!お金持ちになれる!あなたは特別だ!あなたの前世は○○だ!・・・
おかしな本の著者はこんな感じで読者が待ち望んでいる心地良い言葉ばかりを書き連ねるのです。
そういう酷い著者は自分が成功(というか金儲け)する為に悩む人からお金を吸い取ろうとしている・・・と思います。

そんな自己啓発本ですが、僕が自信を持っておススメできるのはこの2冊です。
『7つの習慣』
『人を動かす』

最近その『7つの習慣』を1年半ぶりに読み直しています。
最近自分がブレているなと思ったからです。
第一の習慣は「主体性を発揮する」なのですが、早速ハッとさせられました。
1年位前の僕ははもう少し主体性をもって判断できていたと思います。
ですが、中だるみというか・・・最近の自分は自分で選択しているつもりになっていました。

自分の行動、優先すべきこと、できていないこと・・・見直してみようと思います。

『人を動かす』は人間関係について悩んでいる方、もっと積極的にネットワークを拡げたいと思う方におススメします。

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2009年9月 5日 (土)

正しい神とは・・・神は必要か・・・

最近考えていることを少々。

何が正しくて、何が正しくないか。

そんなことは一概に結論付けることはできない・・・時には人を殺すことだって良しとされてしまうのだから。

社会学者宮台真司が『日本の難点』で、「社会には底がない」ということはだいぶ前からわかっていたけど、ここに来て実際に皆が「底がない社会」で生きなければいけなくなったことに気づき始めたみたいなことをいっていた。底とは、これは正しい、ここまでは正しいと確信をを持てる精神的な基盤でと言えるようなものであり、自信とも安心ともいえるもののこと。人や社会は今の状況をこの底をベースに一段一段積み重ねてきた結果ように捉えていると思う。

そう、実際はそんな底などない。例えば、戦後は、いや最近までアメリカが底としてあって、それを信じれたからこそ前へ進みやすかった…とかね。
今、社会が本当に底がないことを実感しているのだと思う…このなんとなく不安な世の中に。何を信じたら良い?
一体いつから間違えていたの?
こんな欲と欲のぶつかり合いにイヤ~!
真っ暗な未来なんてイヤ~!ってね

そんな時に誰しも気になる存在がいる。「底」にしたいから頼りにする存在がいる。
そう「神」。
「神」とはいったい・・・

僕は神を信じています。だからどんなものか知りたいと思う。
神とは何か・・・僕なりの考えはありますが、これは一人ひとりが考えるべきことだから言いません。よく感じ、考えた先に見えてくるものだと思う・・・たぶん。

僕は以前はこんなふうに思っていました。
神は信じたい・・・と同時に何か引っかかる存在。
僕は理屈っぽいから、どうも腑に落ちない神がある。

最近政治の記事を読んだり、経済の本を読んだりする一方、宗教に関する本を読んだりしました。その中でわかったのは嘘の神・・・つまりは意図的に創造された神(或いは仏)の多いこと。

こんなことを書くと神を疑え!って思われるかもしれませんが、むしろ逆です。僕がなぜ宗教に関心があるかということを、梅原猛の『仏像のこころ』から引かせていただきます。

「美しい幻想に満ちた阿弥陀浄土を作り出した人びとは、恰もその浄土を実在する厳正以上に実在性を持ったものであると信じた。それによって彼らは絶望と不安をまぬがれつつ、人間に美しい美と倫理への確信を与えた。しかしわれわれは今、こういう心のカラクリに対してあまりに敏感になりすぎている。創造物を実在物と思い込む進行に対して、その想像力が多くの成果を人間に与えたとしても、それを直ちに信ずることにわれわれは理性の反発を感じるのだ。
・・・浄土不信の状況にある現代人は、・・・・現生に対する絶望を癒すものはなく・・・ノイローゼや精神分裂症となり・・・もはや現世の功利に対する倫理下愛し得ないものとなる。
・・・浄土教が与えたような生の意味づけを、神や阿弥陀を信じないことでわれわれは得ることができるか。現世への是t棒や氏への不安を癒し美や禅へのあくことのない憧憬のこころを起こさせることが、神や阿弥陀無しにできるかということである。」

最近は仏教、特に空観(くうがん)と法華経についての本を読んでいます。
その話はまたいつか。


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