映画・動画

2011年10月 8日 (土)

ドキュメンタリー映画「幸せな時間」

知り合いが宣伝をしている映画で、この予告しか見ていないのですが
色々と思うことがありました。

僕の近親者の中には、ガンと認知症がいないのです。僕の家系はどちらかというと、脳の出血とかそういう系統です。

この映画ほど大変な状況ではなく、もっとありきたりですが、僕の記憶に重なるのは母方の祖父母でしょうか。

祖父母は、伯父夫婦と同居していましが、寝たきり状態の祖母の介護でいざこざが起き、家を売り、二人で老人ホームへ入りました。

祖母は2年前になくなりましたが、91歳になる祖父はとても元気です。いまでも電動自転車に乗って散歩したり、趣味のカメラは90歳にしてやっとデジカメに変えたりと。

祖母はちょっといい家柄だったらしいのです。そして、孫の僕がいうのもなんですが女優の様な顔立ちでした。一方の祖父は骨太でがっちりとしたジャガイモの様な風貌。
祖母がまだしっかり話せた頃こっそり聞かせてくれたことがあります。
二人は戦時下にお見合いで結婚するのですが、プライド高い祖母はそんな祖父と結婚したくなかったのだと。

互いに忙しくすれ違いばかり、趣味も性格もなに一つ共通点のないような夫婦は、
最後の五年ばかりをゆっくりと二人きりで過ごしたわけです。
本当にただ一緒にいただけの時間、祖母の状態からすると、おそらく大した会話もなかったでしょう。

延命処置をせず、祖母は安らかに最後を迎えます。斎場の都合で葬儀までは3日ありました。
祖父は毎日祖母の亡骸に会いに行きます。その行き帰りも、対面の時もいつもと変わらぬ表情でした。

幸せってなんでしょう。
社会学者・見田宗介さんは幸せは豊かさからではなく生きる歓びに由来すると書いてます。ニーチェや仏陀が悟ったのも、星の王子さまが気づいたものもそんなことなんだと思うのです。

人間ってのは、生物としてだけでは生きていけなくて、社会の中でも生きていかねばならなくて。下心なく生きていきたいけど、なかなかできなくて。

祖母は徐々に記憶が朧げになり、あまりうまく話せなくなっていきました。そんなでも、会いに行くと必ず僕に聞くのです。

結婚はしないの?好きな人はいないの?

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2011年9月20日 (火)

Terrence Malick - Tree of life


テレンス・マリック「ツリー・オブ・ライフ」を見ました。
感想というか、解読というか、誤読というか。
映画はたまにしか見ないので、通な見方はできませんが…。

あえて一言でいうならば
大きな物語なんてないでしょ、ということ
もっと迫れば神は存在するの?みたいな
(ただしこの神ってのには、
後でちょろっと自分なりの解釈をつけます。)

コンパクトにしすぎだけど、そんなことだと思う。
僕は詳しくないけれど、聖書についての知識があれば更に理解できるだろうし、奥深く面白く見れる映画だと思う。

冒頭は旧約聖書「ヨブ記」で始まる。僕はヨブ記の問いをテレンス・マリックなりに映像化したのがこの作品なんじゃないかと思った。
ヨブ記についても後ほど。

ストーリーは、現代に生きる成功者ショーン・ペンが自分の少年時代を回想するのがメインになっている。回想する時代は、古き良きアメリカ、そして描かれるのはその理想的な家族の話し。そして徐々に家族の中がギクシャクしてくる。

そんな中に、いくつかのキーとなる設定がある。聖書に詳しければたくさん気づくはず。僕が気づいた部分だけメモ書きします。

三人兄弟の次男が死ぬというのは
旧約聖書「創世記」のカインとアベルの話と同じ。
長男カインと次男アベル、三男セトはアダムとイヴから生まれ、カインは農業を、アベルは羊の放牧をした。
カインは初の収穫物をアベルは羊を神ヤハウェに供えた。しかし神はアベルの供物しか受け取らず、カインの供物は拒まれた。カインはアベルに嫉妬し殺してしまう。ヤハウェはカインにアベルの行方を尋ね、カインは「知りません。私は弟の監視者なのですか?」と答え、これが人類初の嘘と言われている。

小さなところでは、スーパーの駐車場で何やら暴れ狂う悪人達が手錠をされて警察車両に押し込まれるシーンに不意に挿入される母が水筒の水を悪人に飲ませる映像。
これはキリストが背に十字架を背負いながらゴルゴダの丘を上がって行く時に、女性がキリストに水(ミルクだったかな )
飲ませてあげる話と重なる。
奇妙な人物を遊ぶ場面もある。
善良であろう者は誰、義しい(ただしい)者は誰、そんな暗示かな。

不意にしかもかなりの時間を割いて挿入される、地球が誕生し、細胞レベルの生物が誕生し、恐竜が誕生し滅亡する映像
は、今人間が生きているのは、神が創造したものか、単なる宇宙の因果なのかと問うているように思えた。ヨブ記でもそんな問答がある。

他にも沢山あったと思うけど、忘れた。

この映画は、古き良きアメリカの幸せという物語が終わっていく様子が描かれている。
強い厳格な父親、父親の勤めるは重工業系の大企業でありながら映画の終盤で工場の閉鎖とともに解雇される。
父の躾けは、強さと競い勝つこと、負けるなということ、正直なだけでは生きていけないということ。
日曜日には家族で教会に。
素晴らしいマイホーム、広い庭、美味しそうな食卓、流線型の自動車。

色々な暗示がされていると思った。
人間が創り上げた欲望の社会とはなんなのか
父性とは何なのか
母性とは何か
自分さえ生きれば良いのか
生命とは何か、自然とは何か
なぜ生まれるのか
なぜ死ぬのか
なぜ生きるのか
悪しき者が生き、善良であろうものが死ぬのか

ショーン・ペンは母親が大好きだった。しかし、父を嫌いながらも父に似ていく自分。
母親は愛し合い、助け合いうこと望んでいた。そんな母に似たのは弟だった。
自分より善良であろう弟は19歳で死に、自分は成功者として生きている。これはカインとアベルでもあるし、ヨブ記にも通づる。

この映画を見たあと、どうにも気になって岩波文庫の旧約聖書「ヨブ記」を読んでみた。
自他共に認める神に義しい(ただしい)生き方を全うしてきたヨブの人生があるとき一転する。
全ての富を失い、人望も失い、人々は去っていき、彼の体は腫れもので覆われ、死んだほうがましではと思えるほどの苛酷な試練が与えられる。
彼は神に問う、なんでわたしがこのような目に遭うのかと。
私は神が義しいとする行ないを全うしてきたではないか。散々悪業に身を浸してきたような者が生きているのに、なぜ私がと。
ヨブは最後に神と問答をする。神はその完全さをヨブに示し、最後にヨブは神にひれ伏す。すると、彼は元の倍の幸せを手に入れる。
それがヨブ記のあらすじ。

完全なる神というものに違和感を覚えるのは僕だけだろうか。それは日本人だからなのか、何なのか。
このヨブ記を読んで、ゲーテは「ファウスト」をドストエフスキーは「カラマーゾフの兄弟」を書いたらしい。

神がいるのかいないのか、僕もわからない。けれど思うのは捏造された神、神の皮をかぶった悪意や私利私欲があまりに大きくなり過ぎてないか。そして、安易に神を信じ過ぎてやしないか。
それがテレンス・マリックの投げかけなのではないかと思った。

個人的には、父親についても考えさせられたな。そして、だいぶほったらかしになっていた、カラマーゾフの兄弟を読んでみようと思った。

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2011年3月27日 (日)

どのようにして日本に原子力発電所ができたのか

唯一の被爆国である日本が、原子力発電所をつくったのはなぜか。
どのように世論が納得したのか。昔のNHK特集の動画がありました。

原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~

part1

part2

part3

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2011年2月23日 (水)

『フード・インク』『ありあまるごちそう』

昨日書いたことにもちょっと関係しますが、こんな映画をやっているようです。
観に行ったところで、なかなか生活習慣を変えることはできないと思います。
食べ過ぎないとか、無理やり生産されたに安い食物を買わないとか

お菓子とかハンバーガーが大好きなくせに
こんな映画どうですか?って言っている自分がちょっと偽善者臭い気がして
気がひけるのですが

でも、こういう事実があるのだなということだけ
予告編だけでも結構衝撃的なので、見てみてください。

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2011年2月13日 (日)

『ソーシャル・ネットワーク』(デヴィッド・フィンチャー監督)

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チュニジアで大規模なデモが起きて23年間独裁政治を続けたベン・アリ大統領は退陣し、国外へ逃亡。そのすぐあとエジプトでもデモが起きム30年間独裁政治を続けたバラク大統領は往生際が悪かったものの結局退陣することになった。
エジプト国民の鬱憤を吹き出させてしまったのは、ムバラク大統領が国内のネット網を遮断したことにあると言われている。なぜ遮断したかといえば、自らの醜態がどんどん漏れでていくのを抑えられなくなったからだ。携帯のカメラで写真やビデオ撮影してネットにアップして、twitterやfacebookで公開する、するとそれに共感した友人やフォローする者どうしがそれをどんどん拡げていく。昨年もウイグルやイランで暴動が起きたように、ネットによって政府の不条理な行いを表沙汰にすることからデモが起きるようなことが、新しい市民革命のかたちとなってきたように思う。

そしてこの映画『ソーシャル・ネットワーク』はfacebookの創業者マーク・ザッカーバーグを主人公とした、facebookの誕生から登録者数100万を超えるくらいまでの話になっています。
とてもスピード感と高揚感、それはどんどん桁の上がっていく登録者数、マネーや株、早口の登場人物、寮から住宅そして大きなオフィスへ、従業員の数や群がる女たち・・・・。

facebookをつくる前にザッカーバーグはハーバードの女学生の美人投票をするフェイスマッシュというものをっている。これはハーバードバードのサーバーにハッキングして、女学生の学生証の写真を抽出し、2枚の女学生の写真を並列させ、どちらが可愛いかとアクセス者にに選ばせる。それによって学内の女学生の美女ランキングを作るというもので、この件でザッカーバーグはハーバードから処分をうける。このフェイスマッシュは女性にふられたことから生まれたのだけど、この映画には終始妬み、復讐の影が絡みつく。そしてその創造の現場とかけ離れたように広大に広がるネットのつながり。

facebookにはナップスターのショーン・パーカーが関わっている。この映画でも、出てくるのだけど(どうやら事実と異なるらしいものの)
そこで彼はこう話す。
音楽業界は頭の硬いヤツらばかりだ。別の形で復讐はしたよ。どうだい、CDは売れなくなっちまったろ?

オタクで数人しか友達のいないような天才プログラマーが、人とつながる為のサイトを作った。人とのつながりをもたらすことは知識のつながりをもたらすことのように、情報の世界をつなぐという括りでは同じかもしれない。かたやtwitterは情報をつなげることの方に重心があるように思える。一方のfacebookは当初から人と人がつながるということを強く意識し、人間の実体感をもたせる工夫をしている。その思想は実名で登録することや顔写真を掲載することにはっきりと現れている。

内燃機関の発達や電気が生まれてそれが生活を変えた。そしてITの発展で情報のあり方が変わった。マスが大きな力をもったメディアの構造が変わり始めている。情報以外の技術も発達していくのでしょう。僕は情報以外の分野でもマスでしかできなかったことが数千人とか数百人、数十人単位でできるようになるんじゃないかと思う。地域や家族や個人の単位、そして新たなつながりがもたらす集団、こういったものが新たな共同体となり、社会の構造がパーソナルな集合体として再編成されていくんじゃないかと考えています。
それによって発展形としての封建社会や民族文化のようなものになるかもしれないし、統一的な世界というようなものになるかもしれない。少なくとも現在のベクトルとしてますというあり方、帝国というあり方のようなものには限界点を過ぎていて、転換期に差し掛かっているということのように思います。twitterやfacebookが生み出す人のつながりと力の波は転換期であることを実証しているように思えるのです。

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2010年11月 5日 (金)

マザーウォーター

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「かもめ食堂」「めがね」が好きで。「マザーウォーター」を見てきたんですよ。
なんというか相変わらず和む映画でした。今回は京都が舞台で、全体を貫くストーリーめいたものが無い感じもそのまま。メインのストーリがないから、その場面々々の些細なことがとてもオモシロいのも相変わらず。
登場人物だって今回はキョンキョンなんかも加わって、それぞれが思い思いの仕事をしている。キョンキョンはカフェ、小林聡美はバー、市川実日子は豆腐屋、もたいまさこは???。

今回も概ねいいなと思ったのですが、少し変わったような気がします。正直、良さが失われた感じがします。かもめもめがねも、非日常の長閑な世界があって、その中に現代の社会に生きる中で忘れた何かを気付かせてくれるそんな感じでした。
それらを言外の部分で表現する、そのシーンや仕草や、何となくの一言なんかで。それがものすごくいい持ち味でした。

でも今回は、その大切な何かがセリフになっていた。小林聡美のセリフが、もたいまさこのセリフが目から鱗の名言集ってな感じで。
言葉にしなくてもいいのにって思います。ゆるりゆるりとしたシーンの中で自分でアッとかハッとする。心にジワリとくる。それがよかったのに。

でもこれは、日テレなんかがサポートに入ってるからかなって個人的に思いました。
大きな資本は、わかりやすさを求めるから。

この映画に限らず、わかりやすさが映画を詰まらなくしている・・・。

ごめんなさい、でも見て欲しい映画です。もたいまさこの食べている食事、たまらなく美味しそうでしたし。
京都にも行きたくなりますし。

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2010年9月23日 (木)

『めがね』

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何も無い島の
いや、なくもないのだけど
何となくそこへ集う
黄昏たちの
ナントナク

あるものを楽しむ、
在るも無いもないのだから

まったく何もしない時間に
意味が在るとか無いとかない

せっかくなら、みんなで楽しみ
せっかくなら、みんなで食べる

お金はあっても
あっても無くてもなく

数字はなくても
感覚があるじゃない

そんなことふと気付かせてくれます。
こんな現実たぶん無いのだけど
そんな仕掛けが実に自然に
ジワリと効くように散りばめられていて
自分が見失った影を浮かび上がらせてくれます。

何かで埋めないと、
意味で埋めないと
自分はなくなってしまうのではないかと
焦せる自分に、
焦るという生き方が、
大人なのだろうか

でもそれが現実というのが
大人ということなのだろうか

バウマンの話にも通じますがね

※ 『かもめ食堂』と同じくに食事がおいしそう

(Amazonより)

何が自由か、知っている。

たそがれどきを迎えるすべての人へ。
『かもめ食堂』のスタッフとキャストによる、一瞬のようで永遠のような、たそがれどきの物語。

<キャスト>
小林聡美
市川実日子
加瀬亮
光石 研
もたいまさこ

<スタッフ>
脚本・監督:荻上直子
主題歌:大貫妙子
企画:霞澤花子
フードスタイリスト:飯島奈美
スタイリスト:堀越絹衣

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2010年9月 5日 (日)

The Sky Crawlers ・・・スカイクロラ

押井守監督のアニメーション映画『スカイ・クロラ 』を見た。
いまさらですが・・最近映画を見ていなくて。
( きちんと見たのは「少年メリケンサック 」以来。。。おいおい )

主人公は遺伝子異常で老いない身体を持ってしまったキルドレたち。
身体が破壊されない限り、死ぬことはない。
そんなキルドレの戦闘機乗り達の話。

生命を宿しつつ、死なない或いは死ねない彼らにとって生きているという感覚はウツロうつろな蜃気楼のよう。
生と死のコントラストがないということは、死がないということは生きているということなのか・・・。

だから空を舞い・・・。
生と死の空隙をブッ飛ばす。

敵と闘う・・・。
魂を剥き出しにして。

現実の生身の僕らは、生きていると感じられているのだろうか。
喜び、悲しみ、不安、怒りを感じる時だろうか。
人と交わる時だろうか、孤独な時だろうか。
安定した生活をしている方が幸せだろうか。
不安定ながらも変わりゆく日々である方が幸せだろうか。

キルドレは架空の存在だけど、あえて比べるなら僕らは少なくとも一つ大きなものをもっている。
生きることの他に、死に向える者であるということ。

生が有限だからこそ、生きたいという思いが生まれるのだろうし、
こうありたいと願うのだと思う。
生きる意味を求めるのだと思う。

いずれにしても生きることは
生半可であってはならぬと思う。

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2010年2月22日 (月)

楽しく学ぶハイエク

F.Aハイエクという経済学者がいます。
最近興味があって関連書籍など読んだりしてますが、
皆さんに興味をもってもらえそうなおもしろい動画があったので
歯磨きでもしながら見てください。


まずはこれ、今の日本の社会とは無縁の極端な例のように思えるかもしれませんが・・・。

自分たちの問題として見てみると・・・思うところがあるはず。

今度は楽しく経済を学びましょ。
経済抜きにしても、こんなの作っちゃう人がいる。
ふつうにかっこいい・・・

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2009年11月29日 (日)

悲劇の携帯ケース

ずーっと手をつけられないでいた携帯電話ケースを作りました。
依頼内容は携帯電話が3つ入るもの。

そこでつくってはみたものの

作る以前の問題が・・・

martinくん、君は確か理系だったよね?

物理が得意だったよねぇ

建築学科出てたよねぇ?

動画を見てみてください。

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